コロナを災害たらしめる本質を知り、
「正しく恐れる」

 新型コロナウイルスに関する知見や研究は蓄積され始めているものの、未知の部分は多く(予測不可能性)、また治療薬の臨床知見も積み上がってきていますが、制御可能といえるほどのものはない状況です(制御不可能性)。

 このように考えれば、新型コロナはその特性(予測不可能性が高く、また制御不可能性がある未知のウイルスであること)から、人々の恐れを喚起していることがわかります。

 逆に言えば、その正体(構造、特性)が明らかになるにつれて、どういう人にどの程度リスクがあるのかがわかるほど(予測可能性)、どういう人がどの程度気をつければよいかがわかりますので(制御可能性)、「正しく恐れる」ことができるようになります。

 たとえば年代別に見ると、新型コロナウイルスの20代以下の死亡率はいまだに0%台であり、「20代以下が死亡するリスクはほとんどない」ということがはっきりしてきました。もちろん無症状で罹患することはありますので、他者に感染を広げないことがポイントになります。

 であれば、中止となった高校スポーツの全国大会も1カ所に集めずに、各県に分散させて専用バスなどで移動して試合だけして帰ってくる、帰宅後は高齢者と触れ合わないようにするといった工夫をすれば甲子園や高校総体を実施できると考えられます。確定的なエビデンスに照らして「正しく恐れる」ことで、子どもたちの学びと成長の機会と安全を両立することが、これからの大人の果たすべき役割と考えます。このようにさまざまなことが明らかになっていき、ワクチンや特効薬が開発されたときに、恐れを喚起する予測不可能性と制御不可能性がなくなり、実害も低減していきます。こうして、新型コロナウイルスは「風邪」と呼ばれるようになっていくことでしょう。

 新型コロナウイルスを「災害」たらしめている本質が、恐れであり、それを喚起する条件が予測不可能性と制御不可能性であることがわかれば、それがなくなれば普通の風邪になるといったように予測することが可能になります。これが「条件の学」としての本質行動学の先を見通す力なのです。