科学の本質を踏まえて
危機をマネジメントする

 では、新型コロナウイルスを災害たらしめている本質を踏まえて、その災害をどうマネジメントしていくべきなのか考えてみましょう。

 科学の本質論である構造主義科学論によれば、科学とは、「自然への恐れから現象を構造化して、予測可能性と制御可能性を担保する構造の追究」ということになります。先述の予測可能性と制御可能性をどう担保するか、つまりどう危機を乗り越えるかを考え行動するには、この「科学の本質」に基づいたマネジメントが不可欠です。

 しかし現代科学には大きな弱点があります。それは過去のデータに基づいて構築されているという点です。そのため科学は過去に例のない未曽有の災害に極めて脆弱なのです。

 2001年アメリカ同時多発テロでは、ツインタワーにハイジャックされた航空機が衝突した際に、ビルの中にいた人が高層ビル建築の専門家に電話したところ「ビルが崩壊したことはないから大丈夫」と言われて避難せずに残っていたらそのまま亡くなってしまったそうです。

 2011年、東日本大震災では、巨大津波はハザードマップに示されている浸水エリアをはるかに越えて大きな被害を出しました。テレビやラジオの津波警報でも「海岸付近には絶対に近づかないでください」といった放送がされましたが、河川付近からの避難を呼びかけたのは、テレビで河川をあふれながらさかのぼってくる映像が流れた後でした。日本では絶対安全といわれていた原発も全くそうではありませんでした。

 そして2020年、新型コロナウイルス災害が起きました。多くの超一級の専門家を有するWHOは中国の武漢で流行し始めてからも「渡航制限をする必要はない」と言っていました。CDCも3月11日に緊急事態宣言を出すまで「アメリカではコントロールされている」と言っていました。そしてWHO、CDC、多くの感染症学者は当初、「症状のない人はマスクをする必要はない」と主張していました。

専門家は
「未来」の専門家ではない

 なぜ専門家は今から見れば間違っている主張をしてしまったのでしょうか?

 インフルエンザといった過去の感染症は、無症状の人からは感染する確率は低く、ひとたび症状が出れば高熱と倦怠感で動けなくなるため、感染者を把握することができました。つまり、暗黙裏のうちに「無症状の人は他人に感染させないこと」「感染者には症状が現れること」を前提にしていたため、観測できていない無症状の人を媒介として感染が水面下で広がっていることに考えは及ばなかったのです。

 専門家は過去の専門家であって、未来の専門家ではありません。こうした専門家だからこその“専門家エラー”が起こるのです。これは専門家が悪いといったことではなく、科学は過去のデータの上に構築されているという原理的な限界があるということなのです。専門家も一般の人も科学の有効性と限界を正しく捉えておくことが、適切な危機のマネジメントでは必要になります。

 誰も想像すらできなかったことを予測することは専門家といえども、まず不可能です。ただ、もし今回のことから学んだことを次に生かすことなく同じ失敗を繰り返したり、過去にとらわれ、状況認識が変わっても戦略を変えなかったりしたときには、甘んじて批判を受け入れなければなりません。