文芸春秋に入社して2018年に退社するまで40年間。『週刊文春』『文藝春秋』編集長を務め、週刊誌報道の一線に身を置いてきた筆者が語る「あの事件の舞台裏」。今回は巨匠・松本清張と29歳の新米編集者だった筆者の出会いを振り返る。(元週刊文春編集長、岐阜女子大学副学長 木俣正剛)

29歳編集者に
大作家が見せた素顔

松本清張以前、文藝春秋編集部には、恐怖の「松本清張伝説」なるものが言い伝えられていた Photo:Francis Apesteguy/gettyimages

 文藝春秋の編集者時代、6年間にわたって松本清張先生の担当をさせていただきました。当時の私は、29歳。しかも、週刊誌から異動して初めての作家の担当。ド緊張していましたが、最初から失敗だらけです。

 清張先生からの電話に、まず失敗。編集部の直通電話に出ると「松本じゃが……」とかすれ気味の声が聞こえました。「ハア?どちらの松本さんですか?」と問い返したとたん、「松本清張じゃよ!」と大きな声が……。

 やってしまいました。最初の打ち合わせの後、3日もたたないのに電話がきたのです。電話の要件は、「報告がない!」でした。慌てて、とりあえず集めた資料を持参しました。

 翌日、また電話がありました。「来てください」。あーあ、また叱られる、と思いつつ、東京・浜田山のご自宅にうかがうと、先生が玄関口で待っておられました。

「昨日は、怒ってすまないことをしました。昨日届いた資料を見ると、いっぱい赤線を引いて勉強していることがわかりました。私は、木俣さんがサボっていると思っていたのです。本当に申し訳ない」

 超大物作家が私ごときに平謝りです。感激しました(今だから明かします。確かに資料は集めていましたが、資料に線を引いて勉強していたのは、私と一緒に取材を担当した取材記者の向谷進さんでした。向谷さん、清張先生、ごめんなさい)。