日本の芸術は各国と比べて
「歴史が浅い」
――「サマーソニック」を主催するクリエイティブマンは、数万人規模の音楽フェスとなる「スーパーソニック」を9月に開催予定ですが、これについてはどうお考えでしょうか?
Photo by T.H.
そうですね。クリエイティブマンの清水(直樹)代表はコンサートプロモーターズ協会の常務理事でもあるので、よくお互いの状況については話していますし、彼の考えには賛同できます。
データによると、インフルエンザにかかった方は今シーズンに728.5万人いて、そのうち亡くなった方が約3000人いらっしゃいます。間接要因まで含めると、1万人くらいと推定されます。ワクチンや治療薬があってもこれだけの方が亡くなっているのですが、未知の病気ではないので、どこかで治療に関しての安心感がある。
これと比べると新型コロナウイルスは感染者や死亡者の数が少ないんですよね。ただ、何より未知のウイルスという怖さがあります。正しく恐れるということが必要ではないでしょうか。
そのためわれわれも民意を得られるよう、音楽産業としてきちんとガイドラインを示さなければいけないと思っています。ウィズコロナの中で経済を回していくという指標の元で、みんなで一緒にルールを守ってやっていきましょうと。
――コロナ禍で浮き彫りになった音楽産業の弱点は何でしょうか?
弱点だらけでしたね。これはわれわれの責任でもあるのですが。まず、米国や韓国などのライブ配信のテクノロジーを見ていると、日本はITの進化が異常に遅れているということを感じました。
これはわれわれの産業に限ったことではなく、日本全体のシステムの未発達が浮き彫りになりました。中国や台湾の人は皆、コロナの状況をスマートフォンでチェックしながら移動していますが、日本ではCOCOAを皆がインストールしているわけではありません。Zoomでミーティングをするというときに、方法がわからないからと参加しないような人たちのゾーンも結構数が多いわけです。
こうした笑えない事実がそこら中で起きています。先進国だったが故に、IT後進国になってしまった。キャッシュレスも浸透していませんし、このコロナ禍で一番問題になったのはそこですよね。われわれの産業で変えていけるところは進んで変えていかなければならないタイミングに来たという気がしています。
そしてこれが何より大きいのですが、日本において文化や芸術の価値や地位がそれほど高くなかった。このことを嫌というほど思い知らされました。
例えばドイツのメルケル首相は、文化や芸術は必ず守りますよ、あなたたちがいないと私たちは生きていけませんからと、しっかりと文化や芸術の価値を自身の言葉を通じて国民に伝えています。
イギリスでも、音楽と観光を融合させた「ミュージックツーリズム」を例に、音楽が国家を支えているんだということをしっかりと国民に広めています。
アメリカでは、音楽に従事している人たちは、例えばけがで指を失ったり聴力が失われたりしたミュージシャンやエンジニアなどをサポートする、「ミュージケアーズ」(MusiCares)という音楽従事者に向けた仕組みがあるんですね。ミュージカルに従事する人たちにもユニオンがあります。でも日本にはそうしたユニオン的な感覚というものは、どの業種にもあまりありません。われわれのような団体もありますが、そのほかは会社に(労働)組合があるくらいですし、組合の体質も今は少し変わってきています。
文化や芸術というものが、人間が生きる上でどれだけ大切なものか、そうしたプロモーションを国や社会に向けてダイレクトにやるということが欠けていたのかもしれません。やはりわれわれはまだまだ考えなければいけないことがたくさんあります。
――日本で文化や芸術の地位を上げるにはどうしたらよいのでしょうか?
まず、各国と比べて「歴史が浅い」ということがあります。どういうことかというと、ヨーロッパの絵画やクラシック音楽の成り立ちを振り返ると、もともとタニマチ(編集部注・ひいき筋や後援者)の存在が大きな役割を果たしていました。でも日本では、タニマチって文化的に受け入れ難い雰囲気というか、あまりいい印象ではないですよね。パトロンやタニマチって、何か怪しいおじさんが金をばらまいている印象で「それに頼るのってどうなの?」みたいな。
そういうふうに捉えられているのを、もっと変えていかなければならない。やはり金銭に余裕のある人が芸術を守っていくというのは、文化や芸術の地位が高い社会では当たり前なのです。そのことも含めて、きちんと考え直す時期に来たのかもしれません。もちろん、お金のある人に「お金を下さいね」と言っているわけではありませんが、そういう意味で、日本は芸術を守る社会としての「歴史が浅い」のです。
個人的にではありますが、今回の基金設立が、そのフォローアップにつながる仕組みの足掛かりになればと感じています。何が正解かわかりませんが、グローバルな基準というものが日本にはなかなか当てはまらない。そのため、日本流にカスタマイズされた形をつくっていかなければならないのだと思います。







