しかし、僕も還暦を過ぎた。

 還暦とは、60年で干支が一回りして、再び生まれた年の干支にかえること。いわば、もう一回、新しい人生が始まるようなものだ。そのタイミングで、それまでの人生を反省して、新しい人生に活かすことには意味があるだろう。そのためにも、あえて自分の過去とじっくり向き合ってみるべき時期なのだと思った。

60年もののクラシックカーの車検

 実は、そのことに最初に気づいたのは、数年前に入院したときのことだ。

 年末の休暇を利用して、暖房設備のない書庫で、蔵書の整理をしたのがいけなかった。2~3度に冷えた空気を吸った肺に、埃が入って気管支炎を発症し、新年早々ダウンしてしまった。

 病院に行くと即入院。身体中を検査されると、気管支炎のみならず、悪いところが次々と見つかった。背骨もずれて曲がっていた。これは、パソコンの見過ぎが原因だとしか考えられない。自分の身体はすっかり老化しているのだ、と実感した。結局、検査数値や症状が改善するのに約40日を要した。人生初の長期入院だった。

 入院中は、時間が膨大にあった。

 朝7時に病室で目覚めて、朝食を済ませて、いくつかの検査が終わる。あとは昼食と夕食以外、決められた予定は何もない。ベッドの上で安静にしていればいいだけ。常に忙しく動き回ってきた僕にとって、ありあまるほどの「無為の時間」を過ごすのは初めての経験だった。

 僕は、その時間を、大好きな音楽も聴かず、テレビも見ず、ネットにもつながず、電話もかけず、新聞も読まずに過ごした。仕事もしなかった。「老化」という現実と初めて直面し、そんな気になれなかったのかもしれない。本は少し読んだかもしれないが、あとは考えごとばかりして、それをメモしていた。

 考えていたのは、自分の「これまで」と「これから」についてだった。

 入院して間もなく、もうすぐ自分が59歳の誕生日を迎えることにふと気づいた。ということは、60歳まで残り1年。それを思ったら、「入院」に何か特別な意味があるような気がした。まるで60年もののクラシックカーの車検のようじゃないか。「これからのことを考えるためにも、これまでのことを反省しなさい」と神様が囁かれたような気がした。

「過去を否定」することは、
自分の足をめがけて「弾」を撃つこと

 これをきっかけに、僕は、ときどき過去を振り返る時間をもつようになった。

 印象的な出来事を紙に書き出して年表をつくり、それを眺めながらさまざまなシーンを思い出す。つらいことや悲しいことを思い出したときには、胸が苦しくなる。思わず涙がこぼれることもあったし、強い怒りがこみ上げることもあった。

 僕は、「過去に“if”はない、未来にしか“if”はない」と常々考えているが、正直に白状すれば、過去を振り返りながら、ついつい“if”が首をもたげることもあった。

 マイクロソフトにいたときに、ビル・ゲイツが大反対した半導体事業への参入など主張せず、ビルの言うことをよく聞いて「いい子」にしておけば、それだけで大金持ちになって、今頃はラクラク。

 アスキーが好調だったときに、リスクの高い新規事業に積極的な投資などせず、ビルでも買って手堅い商売をしていれば、そこそこの上場企業の社長、会長になって今頃はラクラク……。

 そんな思いが、どうしても頭をよぎる。そして、自分が自分でつくづく情けなくなる。マイクロソフトで喧嘩して、アスキーでも喧嘩して、まさに喧嘩男のちゃぶ台返しの人生。「ああ。バカだなぁ……」とため息が漏れる

 子どもの頃に、妹に言われた言葉を思い出す。何か気に入らないことがあると、すぐに喧嘩をしていた小学5年生の僕に、妹はこう言ったのだ。

「お兄ちゃん、人と喧嘩するのやめてごらん。喧嘩を売られても、我慢するの。そうするとすぐに学級委員長になれるよ。学級委員長になってるのは、喧嘩をしない子よ」

 妹は、小学1年から中学3年まで、ずっと学級委員長をしていたから説得力がある。「なるほど、そうか……」と得心した。喧嘩を少し我慢するようになった小学6年生には委員長になった。しかし、大人になってからも人と喧嘩をしてしまうタチは治らなかった。だから、“子どものような大人”と言われてしまうのだ。返す返す情けない。