218人中、ピッカピカのビリ!
中学時代は勉強を頑張ったおかげで、私立の甲陽学院高校に入学することができた。
甲陽学院は、兵庫県で最も東大進学率が高い私立灘高等学校に次ぐ進学校である。この高校はとても自由な校風で、素晴らしい先生にも恵まれた。僕の人生のなかでも、特筆すべき幸せな時期だったと思う。
ただ、勉強では少々面食らった。高校の授業は簡単ではなかったけれど、それほど難しいとは思わなかった。授業はそれなりに理解できたので、悪くない点数が取れそうな気がしていた。
最初の試験の前、クラスの友達に「試験勉強してる?」と訊くと、「全然してないよ、ほら」と教科書を見せてくれた。教科書には、書き込みもマーカーのあともなく真っ白だった。それを見た僕は、「試験勉強はしなくていいんだな」と安心して、試験前の期間をぼんやり過ごしてしまった。
結果は散々だった。なんと218人中217番。218番は誰だろうと探したら、217番が二人いた。要するに、僕はピッカピカのビリだったわけだ。もう一人の217番のやつを探し出して、「試験勉強はしたのか?」と訊くと、「こんな難しい学校にはついていけない。俺はやめる。お前も一緒にやめよう」と暗い顔をして、次の日から学校に来なかった。そして、間もなく退学していった。
これで、尻に火がついた。
このままではまずい……。書き込みのない綺麗な教科書を見せてくれた友達に、「お前、本当に試験勉強はしなかったのかい?」と確認すると、もう一冊もっていた教科書を見せてくれた。開くと、授業の終わったページは、書き込みで真っ黒になっていた。彼は、「へへへ、実はこの間の教科書はおさらい用で、こっちの教科書が勉強用なんだ」と悪びれずに笑った。
屈辱だった。学年でビリになったことと、友達の本音を見抜けなかったことがとても悔しかった。それで僕に火がついた。とはいえ、予習と復習をするのはたいへんだ。そこで、とにかく授業の時に100%集中して勉強することにしたのだ。
成績は徐々によくなっていった。
ビリだったのは最初の試験だけで、高校一年の夏には50番くらいになり、高校三年の時には理系で一番になった。まさに、スロー・スターターだった。
ただし、第一印象というのは重要で、最初の試験でピッカピカのビリだった僕のことを、多くの同級生たちは「おバカ」だと思っていた。だから、僕が理系で一番になったときには、みんなずいぶん驚いていた。みんなの僕を見る目や、僕に対する態度が急に変わったのが嬉しかった。
ただ、「おバカ」な僕と「一番」になった僕に対する態度が変わらなかった友達が二人だけいた。ずっと理系の一番で東大理三に行った広畑俊成君と、文系の一番で東大文一に行った森郁夫君だ。二人とも、「ユニークな君だから、そのうち絶対に一番になると思っていたよ」と言ってくれた。これが一番嬉しかったし、そんな二人に敬意を覚えた。二人とも、歳をとった今でも、僕の大切な友達だ。