すでに、NECは「TK−80」にBASICを載せようと試行錯誤を重ねていた。はじめは、手近に手に入れることのできるタイニイ・ベーシック(TinyBASIC)というソフトを載せようとしたが、これは全然ダメだった。そして、自社製のBASICの開発に乗り出し、それを「TK−80」に搭載した「TK−80BS」という後続機種をすでに出していた。
ただ、このときのBASICは、本来の機能を縮小したもので貧弱なものだった。僕は、その代わりに、マイクロソフトBASICを搭載したほうが優れたマシンができると訴えたが、NECはBASICの自社開発を継続していたのだから、簡単にOKがもらえるはずもなかった。
しかも、すでにNECは、日本マイクロコンピューターという会社と「TK−80」をさらに拡張するプロジェクトを進めていた。出遅れた形の僕には、入り込む余地がなかったのだ。
しかし、僕はそれでも諦めなかった。
毎週のように、新たな提案を持って担当者のもとを訪問した。
実は、NECも「TK−80」を拡張するだけではなく、キーボード、ディスプレイ、フロッピー・ディスク、プリンタまで揃ったパソコンを作ろうと、極秘裏に「PCX−01」というコード・ネームで呼ばれたプロジェクトが動き始めていた。
だから、僕は、そのプロジェクトのために、アメリカのパソコンをも凌ぐ、当時としては「最高のパソコン」を提案。その完成品のイメージを具体的に語り続けた。シンプルに言えば、タンディの「TRS−80」の格好をして、コモドールの「PET2001」の機能を備えているというもの。いわば、本場アメリカのヒット商品の“いいとこ取り”だ。
ただ、それだけではつまらないので、僕がずっと温めていた「グラフィック機能」「音声機能」「通信機能」などの機能を加えることを提案。すでに僕は、ビル・ゲイツに「マイクロソフトBASIC」にこれらの機能を加える変更をすべきだと要請し、彼も賛同してくれていた。当時のマイクロソフトBASICは、数値演算のためのプログラムだったが、僕は、その可能性をもっと拡張したかったのだ。
この提案はNECにも魅力的に映ったようだった。世界最先端のマシンの“いいとこ取り”をしたうえに、世界初の機能を付け加えるのだから、優れたマシンになるのは間違いない。絶対に売れる。そう訴えると、NECのみなさんも納得されたような表情をされていた。
みなさんにご納得いただけたのは、「完成品」のイメージを具体的にプレゼンできたからだと思う。プレゼンを成功させるために「理屈」や「根拠」が重要なのは言うまでもないが、それをごちゃごちゃと伝えても納得は得られない。まず最初に、魅力的な「完成品」を見せる。そして、相手の心を掴むことが最も重要。そのうえで、「理屈」や「根拠」を伝えるからこそ、相手の心からの納得を得られるのだ。これは、その後、あらゆる企画プレゼンで、僕が徹底したことであった。
さりげない「脅し」も必要だ
ただし、それだけでGOサインが出たわけではない。クリアしなければならない重要な問題が残っていた。NECが自社で開発中のBASICの存在である。
同僚が一生懸命開発しているものを使わないことに抵抗するのは当然のことだし、NECのBASICの性能も格段に向上していた。専門家のなかには、マイクロソフトBASICよりも優れているのではないかという人もいた。もしかすると、そういう部分もあったのかもしれない。
しかし、僕はこう訴えた。第一に、マイクロソフトBASICは、「アップルⅡ」「PET2001」「TRS−80」にも採用され、パソコンの本場アメリカの標準装備になっているという事実だ。NEC独自のBASICを採用したら互換性がないために、世界の市場で孤立することになると訴えた。