【視点2】似て非なる対比──小さな違いに目を向ける

 とりわけフィクションのような創作では、それぞれの作者が目一杯の想像力で対極を配置してストーリーを構成するかと思えば、まったく意外な「似て非なる対比」を構想することもあります。

 ラグビーでたとえれば、スクラムの密集のまま力任せに押すかに見せて、サイドアタックを仕掛けるのが、似て非なる対比のイメージです。

 手塚治虫作品と好対照なのが石ノ森章太郎(1938~1998)の作品です。対極ではなく、似て非なる対比を出して、人間とはなにかを考えたと言えます。

 代表作『サイボーグ009』は9人のサイボーグ戦士の活躍を描くSF漫画で、「半機械人間」という表現が何度も出てきます。ロボットである「アトム」とは焦点の当て方の差異が明らかです。

 石ノ森章太郎さんは、高校生の頃に手塚治虫のアシスタントをした経験もあり、かの伝説的な「トキワ荘」でも手塚治虫と接点をもっていた人です(『章説 トキワ荘の青春』より)。「アトム」を意識しなかったはずはありません。そして自らのオリジナリティをどこに求めたのか、想像することができます。

 さて、戦闘用プロトタイプの「ゼロゼロナンバーサイボーグ」である彼らは、もともと死の商人「ブラック・ゴースト」に誘拐され、改造された被害者です。同時に生身の人間より優れているという自負をもつようになります。

 やがて自分たちを実験的戦闘サイボーグにしたブラックゴーストに反旗を翻します。そして、自分たちを解放するとともに、世界中で戦争拡大を画策するブラックゴーストを阻止しようとするのです。そんなことができるのは、特殊能力をもつ自分たちだけだからです。

 しかも彼らは「ロボット」呼ばわりされることを非常に屈辱的なことと考えています。この点は興味深いものがあります。

 主人公009の仲間である004は、身体の人工化の程度が最も高いサイボーグですが、自らをあえて卑下して「オレを見ろ。まるでロボットさ」と語るシーンがあります。009とブラック・ゴースト最高幹部スカール(やはりサイボーグ)の戦闘シーンでは「お前はロボットか」「見くびられては困る」というやりとりがあります。石ノ森章太郎さんがあえてロボットではなくサイボーグをモチーフに選んだ自負もうかがえます。

 ただし、人間および半機械人間にさらに「神」を対置させた、いわば対極的対比ともいえる「天使編」については、うまくストーリーとして回収できなかったように見えます。その他の代表作「キカイダー」は機械ですが、「仮面ライダー」はサイボーグです。石ノ森章太郎さんは、やはり対極的対比より、似て非なる対比で成功した漫画家だったと言うのは言い過ぎでしょうか。