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この連載では、著者の読書猿さんが「勉強が続かない」「やる気が出ない」「目標の立て方がわからない」「受験に受かりたい」「英語を学び直したい」……などなど、「具体的な悩み」に回答。今日から役立ち、一生使える方法を紹介していきます。(イラスト:塩川いづみ)
※質問は、著者の「マシュマロ」宛てにいただいたものを元に、加筆・修正しています。読書猿さんのマシュマロはこちら

Photo: Adobe Stock

[質問]
 なぜ人間はフィクションを必要としているのでしょうか?

フィクションこそが、ヒトをヒトたらしめる

[読書猿の回答]
 それは多分我々ヒトがフィクションを紡ぎながら生きている生き物だからでしょう。多くの人はこのことに無自覚ですが、気づけば他のフィクションに触れたくなり、触れれば自分のフィクションに気付くことになります。

 生物が周囲の環境に働きかけ、自分にとって都合の良い環境(適応環境)に作り変えることをニッチ構築といいます。分かりやすいものだとビーバーが水をせき止めてダムをつくるのがそうです。

 ヒトはビーバーとは比較にならないほど大規模にニッチ構築をやっていますが、これができる理由は、ヒトは物理的だけでなく認知的にもニッチ構築するからです。フィクションはこうしてできる認知的ニッチの一つです。

 認知的ニッチとしてのフィクションには「我々は誰か? どこから来てどこに行くのか?」という答えようのない問いに答えるものがありました。

 例えば「我々は共通の祖先=神を持つ」といったフィクション(神話)は、ヒトが生まれ持った生得能力では維持できない規模の集団を可能とし、大集団を作り得た集団が繁栄することで、これらの認知的ニッチは複製され継承されたと考えられます。

 社会がフィクションを必要とするのはよいとして、では私たち個人は何故フィクションを必要とするのでしょうか?

 一つの理由は、私たち自身が「私は何者か? どこから来てどこに行くのか?」という問いに応じて自己という物語を語り続けているからだと思います。物語るからこそ、私たちは外部の刺激に翻弄されて恣意的に流れてしまうところを踏みとどまり、一貫したものとして意味付け可能な範囲に行動を制御し、お互いに期待し合い、反応を予想しあって、安定した相互行為を続けていくことができます。「何をするか分からない」ような人でないことが、私たちをかろうじて人の間につなぎとめます。

 自己とは、我々の脳内に巣くうホモンクルスのことではなく、我々の環境を認知的に作り替えることで得られる認知的ニッチの一つのです。自己をフィクションであると知ること、フィクションとして知ることは、私たちの自己に対する裁量を増し、いくらかましな自分に立ち戻ることを可能にします。

 世にある、私が紡いだ訳ではないフィクションたちもまた、私たちがフィクションを紡ぐことを教え、助けてくれます。