思い切り悩んだ後に、
「自分の内側から湧きあがるもの」を大切にしてほしい

──「『自分は何のためにやっているのか?』という問いが、アスリートにとってもっとも根源的である」というのは、どういうことでしょうか。

末續:僕自身がそうだったように、これまでアスリートの目標というのは、勝利、メダル、結果、名声、お金…と、わかりやすいものでした。ところが、このわかりやすさはアスリートにとっては毒でしかなかった。わかりやす過ぎたからこそ、その目標を叶えるべく、社会から期待される姿に自身をブランディングし、時には本来の自分とは違うキラキラした虚像を見せざるをえなかったからです。

 でも本来、彼らの中には、自分は何のためにやっているのか、競技を通じて誰に何を伝えたいのか、自分の心身の内側から湧き出るものを持っているはずです。今、オリンピック延期で行きづまった思いを抱えているアスリートは、そこに蓋をしたまま、自分の中から湧き出るものと真摯に向き合う機会がなかっただけなのです。

末續慎吾

──今、その深い問いに悩んでいる後輩たちに、末續さんならどんな言葉をかけますか。

末續:それはもう、「何のためにやってるのか?」ってとことん考えて、と言いたいですね。わからないなら、悩んで悩んで、考えてみ、と。コロナ禍で、音楽やアートなど、「人の心を表現するものってやっぱり必要だよね」と皆が認めたように、スポーツも本来はそうあるべきなんです。スポーツも、人にエモーショナルな感動を与えるのが、本来の使命ですから。

 なのにそこを安易にわかりやすく、勝利、メダル、結果といったことだけに集約し過ぎてしまったんですね。

──今のスポーツには、エモーショナルな部分が欠けている、と。

末續:はい。アカデミックになり過ぎてしまって、型通りの表現しかできていないように感じます。

 例えば陸上の解説で僕自身もやってしまうことなんですが、肘の角度だとか走りのペース配分だとか、そういう技術的なことばかり話していると、なかなか人の記憶には残りません。

 一方、水泳の北島康介選手の「チョー気持ちいい」とか、マラソンの有森裕子選手の「初めて自分で自分をほめたいと思います」といった言葉は、永遠に人の記憶に残るんです。

 スポーツ以外でも、スティーブ・ジョブズが生み出したiPodの「1,000曲をポケットに」というシンプルなメッセージも同じだと思います。説明のない、人の感情が入り込んだエモーショナルなものって、つい手に取りたくなりますよね。

 ビジネスの世界もスポーツの世界も、そこが足りていないのではないか。今、どちらも同じような壁にぶち当たっている気がします。