子どもに好かれるとはどういうことか

 さて、今「子どもを侮ってはいけない」と書いたが、11月は厚労省が定めた児童虐待防止推進月間である。漢字ばかりで堅苦しいが、児童虐待なんぞは根絶された方がいいに決まっている。その防止は世の中全体でずっと推進されていきたいところだが、どんな立派な意義ある取り組みもメリハリがあった方が締まるので、厚労省はナイスだ。

 児童虐待の起こり方はさまざまあるが、結果として子どもの人権が蹂躙(じゅうりん)されている点は一致している。人権という言葉は大上段に構えている気がしてしまって用いるのがあまり得意ではないが、児童虐待の場合はそんなことにこだわっている余裕がないくらい状況がひっ迫している。
 
 なお、しつけ目的の体罰による児童虐待は、加害者側は「子どものためを思って」として起こるが、虐待に対する認識が加害者と世間の常識(こちらは時代によって変わる)でずれているため、やはり社会的には「子どもの人権が侵されている」と判断されてしかるべき事態である。

 しかし、どうすれば児童虐待を防止できるかという大きな問題については、筆者は専門家ではないので太刀打ちできない。

 そこで、人権の蹂躙とは逆の方向、「子どもに好かれる」という点から、子どもとの付き合い方を考えてみたい。

「子どものお願いに付き合う」という難題

 娘を保育園に迎えに行くようになって、幾人かの園児と顔見知りになった。迎えに来る保護者は園児にとって興味の対象であり、囲まれることは珍しくない。筆者も割と子どもから懐かれやすい方だと思っているが、最近、筆者以上に子どもから人気を集めるパパ友と知り合った。

 彼(以降Aさん・33歳男性とする)は子ども人気の理由について、本人はあまり考えたことがなかったようであるが、こちらの質問を機に、なぜ好かれるのかについていくつか自覚した点があったようである。

 そのひとつが「子どものお願いに際限なく付き合う」であった。こう書くと、「そんなことはできない」「子どもがわがままに育つだけだ」と思う人もいるかもしれないが、いったん続きをお読みいただきたい。
  
 ご存じの通り、子どもはお願いが多く、しつこく、そして結構な無茶ぶりをしてくる。そのお願いをすべて聞き入れることは大変な難題だ。もちろん教育上必要な「お断り」もあるが、大人は「疲れるから」「恥ずかしいから」という理由で子どものお願いをやんわりと断ることもある。

 人通りの多い路上で、いきなり子どもから「今からニワトリのまねをしてみよう!」と提案されて、すんなり受け入れられる人はごくごく少数だろう。しかし、Aさんはそこが平均的な大人と違うのである。

「断ることもできるんですが、なんか付き合ってしまうんですよね」とAさんは語る。

 Aさんは20人の子どもに囲まれて鬼ごっこをする。鬼はAさん1人である。ようやくタッチできそうな局面になると子どもは「バリア!」「今、靴ひも結ぶからダメ」「トイレ行ってくるからダメ」と、それぞれすごい理由をとっさに持ち出してタッチされるのを拒否する。かくしてAさんの鬼が永劫続く。足がもつれ、肺が張り裂けそうになるのを自覚しながら、Aさんは子どもの輪の中をさまよい続ける。