文芸春秋に入社して2018年に退社するまで40年間。『週刊文春』『文芸春秋』編集長を務め、週刊誌報道の一線に身を置いてきた筆者が語る「あの事件の舞台裏」。担当していた劇団四季の創設者・浅利慶太と一流の経営者たちの対談では、毎回忘れられない名言が飛び出していた。(元週刊文春編集長、岐阜女子大学副学長 木俣正剛)
数々の名セリフを聞き出した
浅利慶太さんと一流経営者の対談
まだ30歳そこそこの編集者である私は、ただ一生懸命、経営者の言葉をまとめて(手書きの時代です)、浅利慶太さんに著者校正をしていただき、記事をつくり上げていました。その浅利さんの校正がまた独特でした。
普通は、私が書いた原稿の一部分に赤字を入れたり、一行を丸々書き換えたりという校正がきて、それを私が書き写して、印刷所に入稿するという手順を踏みます。
浅利さんの場合は、原稿に赤線で大雑把に1ページ全部に線が引いてあり、「このあたり、テンポよく」とか、「少し語り口調を重くしましょう」といったことが書かれてあります。テンポよく、といわれても、役者じゃないので、どうしたらいいかわからない。悩みながら、役者がセリフをいうように原稿を直します。
しかし、全体を見るバランス感覚は大変なもので、「天下の三菱の社長を、さも変人であるかのように読めるこの文章はいただけない」など、確かにその通り、という指摘もたくさんいただきました。2年担当させていただいて、ようやく私は浅利さんの本当の偉大さがわかるようになったように思います。