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この連載では、著者の読書猿さんが「勉強が続かない」「やる気が出ない」「目標の立て方がわからない」「受験に受かりたい」「英語を学び直したい」……などなど、「具体的な悩み」に回答。今日から役立ち、一生使える方法を紹介していきます。(イラスト:塩川いづみ)
※質問は、著者の「マシュマロ」宛てにいただいたものを元に、加筆・修正しています。読書猿さんのマシュマロはこちら
[質問]
論理的に考えられない人に閉塞感を感じる
大学の学生団体に所属しているものです。何か議論をするときに、論理的に考えられない人に閉塞感を感じています。私が何かの話の際に論理的に説明しても上手く納得してくれません。
その人たちは、論理的に考えるのが苦手と自分たちで言っています。論理というのを、まやかしというか、机上の空論というか、役に立つの? もっと直感的に考えちゃダメなの? といった感じの印象を受けます。
私の話し方が稚拙というのもあると思いますが、何かそういった人達を上手く論理的思考に導けるような策はありますか?
このままだと、誰もあなたの話を聞かないと思います
[読書猿の回答]
話し方が稚拙というよりコミュニケーションについての考え方が幼稚です。
対等な関係であるのに「自分は正しく相手は間違っているのだから相手が変わるべきだ」と考える人の話を真面目に取り合う人はいません。
相互に影響を与え合い、どちらも変わることなしにコミュニケーションは成り立ちません。
話が通じないなら、なおもコミュニケーションを行うというなら、異なる互いの前提を確かめ合い、共通の基盤を構築することが必要です。
論理は元々議論と対話のためのツールです。
論理を「まやかし」「机上の空論」とその人達がみなすのはおそらく、あなた(だけではないでしょうが)の論理の用い方が、「これは論理的に正しいから、あなたは受け入れるべきだ」という相手を無視したゴリ押しに過ぎないと見て取られているからです。
悪いことに、相手に話を聞いてもらえないと、人はますます自分の正しさに閉じこもりがちです。論理性や理論で武装することは、正しさに閉じこもる際に選ばれがちな、安易な選択肢です。なにしろ自分だけでできることなので。
このことは善用できます。つまり相手の話を聞くことは相手を武装解除することにつながるからです。コミュニケーションは相互的であることを思い出せば、相手を武装解除できれば、相手もまたあなたの武装を解いてくれるでしょう。こうしてコミュニケーションは始まります。
繰り返せば、論理はこちらから一方的に押し付けるものでも、相手に一方的に要求するものでもなく、コミュニケーションする両者が協力して理解を構築するために、協同で用いるものです。
論理的コミュニケーションというゲームを始めるためには相手にも席についてもらう必要がありますが、そこで「これは論理ゲームです。論理的に話す私の発言はすべて有効で、論理的でないあなたの発言はすべて無効です。では始めましょう」では誰も参加してくれないのは当然です。
ヒトの思考はいろんな弱点を持っていますが、「自分に不利なルールじゃないのか」と疑い勘づくくらいの推論ができる程度には論理的です。でなければ、我々が思考と呼ぶほとんどが不可能になっていることでしょう。