料理によって人類が得たもの

 リチャード・ランガムによれば、料理こそが人類を進化させ、現在の人類をつくったそうだ。定説的にはおもに肉食が脳を大きくしたと言われてきたが、彼は料理することで生食よりはるかに多くのエネルギーが得られたため、歯や顎、胃腸が小さくなり、脳を大きくしたと主張する(『火の賜物 ヒトは料理で進化した』NTT出版)。

 もし、あなたがランガムの論には賛成できないとしても、料理によって人類が次のようなものを得たことには同意できることだろう。

 人類は、石器を使って狩りをしてとった動物や自生している植物や果実、木の実を生で食べていた。火を利用するようになると、食べ物を直接火で焼いたり、灼熱した石で焼いたりした。さらに土器を使って煮炊きするようになり、食材の加熱調理で、安全性を確保したのだ。

 自然界には、人体にとって毒である物質も多い。一方で毒を取り除いたり、加熱によって毒性をなくしたりすれば食べられる食材もある。また、食材は、時間の経過にともなって雑菌が繁殖することが避けられない。雑菌のなかには人体に有害なものもある。あるいは寄生虫が入り込んでいる食材もある。しかし加熱をすれば雑菌や寄生虫は死滅するので、多くの場合、より安全に食べられるようになる。

 さらに、食材の加熱調理により、やわらかくて食べやすくなり、消化・吸収しやすくなった。たとえば肉は、加熱することでやわらかくなり、消化・吸収されやすくなる。

 また、固い穀物の実(種子)など、いままで食べられなかった固い食物でも水と煮ることでやわらかくできるようになり、摂取できる食物の種類が飛躍的に増えたのである。

 さらに味や香りがよくなり、「おいしく」もなる。肉の主成分は水とタンパク質と脂肪である。タンパク質は分子が大きく、そのままでは味を感じることはないが、タンパク質が分解されたアミノ酸は、うま味として感じることができる。

 アミノ酸は肉の細胞のなかや細胞と細胞のあいだの組織液のなかにふくまれているので、肉を調理したときに出てくる肉汁は、アミノ酸が多くふくまれた肉のうま味そのものである。また、肉の脂肪にはさまざまな香りの成分がふくまれており、牛、豚、羊などの種ごとに大きく異なる。これがそれぞれの肉に特有の風味を生み出している。料理のおいしさには、味だけではなく香りも重要なのだ。

※本原稿は『世界史は化学でできている』からの抜粋です)

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左巻健男(さまき・たけお)

東京大学非常勤講師
元法政大学生命科学部環境応用化学科教授
『理科の探検(RikaTan)』編集長。専門は理科教育、科学コミュニケーション。一九四九年生まれ。千葉大学教育学部理科専攻(物理化学研究室)を卒業後、東京学芸大学大学院教育学研究科理科教育専攻(物理化学講座)を修了。中学校理科教科書(新しい科学)編集委員・執筆者。大学で教鞭を執りつつ、精力的に理科教室や講演会の講師を務める。おもな著書に、『面白くて眠れなくなる化学』(PHP)、『よくわかる元素図鑑』(田中陵二氏との共著、PHP)、『新しい高校化学の教科書』(講談社ブルーバックス)などがある。