このように、現場のリーダーシップと真のリーダーシップとは、似て非なるものだ。

 現場力を発揮する場のリーダーというのは、みんなの心を一つにして、同じ方向に向かって進んでいく。現場で作業をしている人たちを勇気づける。そういうことが上手な日本人は多い。

 しかし、利害対立が生じた場面で、ある人たちにとって不都合な意思決定をしなければならないとき、そこで求められるリーダーシップはまったくの別物だ。むしろ現場で力を発揮しているリーダーは、共同体内に不協和音を生じさせる場面では意思決定ができなくなってしまうおそれがある。

「ここでおれが決断すると、この人たちはきっとがっかりするだろうな」とか「つらい思いをするのだろうな」ということが気になってしまう人は、シビアな状況では思考停止しがちなのだ。結果として、チームを全滅の危機にさらすことになる

 組織の中でのポジションが上に上がれば上がるほど、そういう重い意思決定が必要な場面は増えてくる。

 もっと小さな組織単位であっても、難しい意思決定を求められることは必ずある。そういう局面で、みんながハッピーになれる映画のストーリーのような意思決定があればいいのだけれど、そういうことは滅多にない。

 痛みや犠牲を乗り越えながら意思決定をして、その意思決定に基づいて組織を動かすということをどんな小さな組織でもやっていかなくてはならない。いきなり社長のレベルで実行するのは大変なので、小さな組織のリーダーになった段階から、その訓練を始める必要がある。そうでないと、原発事故のときの政府首脳のようにパニックになってしまう。

 日本は現場力が優れているがゆえに、トップの意思決定力がなくてもこれまでなんとかなってきた。でも、それは、みんながゴールを共有できた右肩上がりの時代の話で、本当はすでに20年ほど前からシビアな決断ができる、戦略的な意思決定能力を持ち合わせたリーダーが求められる時代になっている。

 現場力への過剰な依存が、今の停滞を招いているとも言えるだろう。

 将来、トップリーダーを目指すミドルリーダーは、「現住所」を現場リーダーに置きつつも、マインドセットの「本籍」はあくまでもトップリーダーに置くよう心がけるべきだ。戦略的な意思決定、現場の中に軋轢を生むような決断からも逃げず、中間「経営職」の職責にあたらなければならない。

                  (次回は10月31日更新予定です。)


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