ユニゾの「みずほ離れ」を生んだ
権力闘争に敗れた一人の男の怨嗟
小崎哲資――。2010年に、みずほの持ち株会社の副社長から常和ホールディングス(現ユニゾHD)の社長に転じた男の名だ。
小崎氏は、1976年にみずほの前身である旧日本興業銀行に入行し、興銀内でも頭角を現していった。特に小崎氏の武勇伝として語られるのは、2兆円を超える赤字危機に陥ったみずほが03年に実施した、1兆円増資のスキーム策定だ。あるみずほOBは「小崎にみずほを救ってもらったのは確かだ」と話す。
みずほの救世主になった小崎氏だが、興銀の同期入行であり、みずほの総帥にまで上り詰めた佐藤康博会長との出世争いに敗れた。佐藤氏が旧みずほコーポレート銀行の頭取に就任した翌年、小崎氏はみずほを去り、常和HDへ“左遷”されてしまう。
その後小崎氏は、出向いた不動産会社の事業モデルを変え、社名をユニゾHDと名を変えた。さらに取引先銀行も変えていった。こうした行動の裏側にあったのは、自分をトップに選ばなかったみずほや佐藤氏への「強い憎悪」(みずほ幹部)とみられる。
ユニゾHDは19年、旅行大手のエイチ・アイ・エスの株式公開買い付けに始まる買収騒動に巻き込まれ、結果として小崎氏が従業員による買収(EBO)を実現させ、幕を引いた。
だがその後、コロナ禍によるホテル事業の業績悪化も相まって、ユニゾHDは前述した厳しい資金繰りに追い込まれた。さらに、社債を持つ香港の投資ファンドが、ユニゾHDは実質債務超過に陥っていると疑問を抱いて質問状を送っている有り様だ。
ユニゾHDが混乱に陥ったのは、果たして誰の責任なのか。