ノーベル生理学・医学賞を受賞した生物学者ポール・ナースの初の著書『WHAT IS LIFE? (ホワット・イズ・ライフ?)生命とは何か』が世界各国で話題沸騰となっており、日本でも発刊されてたちまち5万部を突破。朝日新聞(2021/5/15)、読売新聞(2021/5/3)、週刊文春(2021/5/27号)と書評が相次ぐ話題作となっている。
本書の発刊を記念して、訳者竹内薫氏と脳科学者茂木健一郎氏の対談が実現した。『WHAT IS LIFE? (ホワット・イズ・ライフ?)生命とは何か』の読みどころや魅力について、お二人に語ってもらった。(取材・構成/田畑博文)
「偶然による幸運」をつかむために大切なこと
竹内薫(以下、竹内) ポール・ナースには……女神がついていると感じます。たとえば、彼は実験しているときに、汚染されたペトリ皿をゴミ箱に捨てちゃうわけです。それで家に帰ってお茶を飲んでいたら、「あのペトリ皿は捨てない方が良かった」って急に罪悪感に襲われたっていう。
夜なのに自転車に乗って大学まで戻ると、清掃人がまだ来てなくて、無事にごみ箱のペトリ皿を回収できた。結局、それが「cdc2遺伝子」という大発見につながりました。大学に変則的に入学した件もそうですが、「この人には人生の節目節目で女神がついてるな」という印象を持ちました。
茂木健一郎(以下、茂木) まさに、serendipity(セレンディピティ:偶然による幸運)だよね。セレンディピティにはAction(アクション:行動)、Awareness(アウェアネス:気づき)、Acceptance(アクセプタンス:受容)の「3つのA」が大事だと言われていて、この3つの円を回すことでセレンディピティに出合えるといいます。
脳科学者。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー
1962年生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て現職。専門は脳科学、認知科学。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究する。2005年、『脳と仮想』で、第四回小林秀雄賞を受賞。2009年、『今、ここからすべての場所へ』で第12回桑原武夫学芸賞を受賞。
ポール・ナースの場合で言うと、ペトリ皿をゴミ箱から拾ったというアクション、異常に小さな細胞を含んだコロニーに気づいたというアウェアネス、それを細胞周期の制御として受け入れたアクセプタンス。彼は「3つのA」をちゃんとやっているところがすごいですね。
竹内 物理学の話になりますが、陽電子(電子の反粒子)の発見もそうですね。アメリカのアンダーソンが霧箱の中の電子の軌跡を分析しているときに、同じものを見ていた大部分の科学者は電子が跳ね返ったのだと解釈して、陽電子に気づかなかった。
茂木 現代のビジネスにおいても同様ですね。持っている仮説とは異なる事実が突きつけられたときに、それを捨ててしまうか、それを拾って考え直すか。その違いは大きいよね。
「偉大なひらめき」とは?
竹内 ポール・ナースは自分の娘が物理学を研究しているせいか、物理学者の考えもよく分析しています。本の中で「生物学者にも物理学者のような偉大なひらめきや大理論はある」と述べ、この本の5つの章(細胞、遺伝子、自然淘汰による進化、化学としての生命、情報としての生命)の切り口を、その偉大なひらめきとして提示しています。この章立てについてどう思いますか。
1960年東京生まれ。理学博士、サイエンス作家。東京大学教養学部、理学部卒業、カナダ・マギル大学大学院博士課程修了。小説、エッセイ、翻訳など幅広い分野で活躍している。主な訳書に『宇宙の始まりと終わりはなぜ同じなのか』(ロジャー・ペンローズ著、新潮社)、『奇跡の脳』(ジル・ボルト・テイラー著、新潮文庫)、『WHAT IS LIFE?(ホワット・イズ・ライフ?)生命とは何か』(ポール・ナース著、ダイヤモンド社)などがある。
茂木 不変的な法則を目指したいという意思を感じますよね。21世紀の生物学はそうなっていくのかもしれない。『WHAT IS LIFE?(ホワット・イズ・ライフ?)生命とは何か』は未来に通じる本なんじゃないかな。改めて、訳していてどう思いました?
竹内 まず、読後感が非常に良い。「生きているって何なの?」ということについて、ポール・ナースは真正面から考えています。最終的に「地球ではたった1回だけ生命が生まれた」という結論に達したところが感動的でした。
その世界観があまりにも壮大で、なおかつ全てがつながっていると言われた瞬間に、「人間同士で戦争なんかしている場合じゃないよな。地球全体のことを考えないといけないな」って。“視点が変わる”というような感動がありましたね。
茂木 生命科学を突き詰めていくと、そうした哲学・宇宙観につながっていくのだと思います。生命科学というと「技術や医療への応用」といった面が注目されますが、一方で若い学生たちは「生命の起源」に興味を持っているようです。この本は真正面からそうした疑問に向き合った名著ではないでしょうか。
現在は人工知能の時代ですが、それだけでは足りないと多くの人が気づき始めている。より人工知能を生かすためには、生命をもっとよく理解しなければいけない。ここから21世紀の生命科学の見通しが立つのではないでしょうか。そうした意味において、生命科学が好きな人はもちろん、ビジネス・パーソンや若い人たちにも読んでもらいたいですね。
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