ジャンルありきの勉強からは洞察が生まれにくい

 独学の戦略を立てるというと、「どのジャンルを学ぶか」と考えてしまいがちですが、これをやってしまうといつまでたっても「知的戦闘力」は上がりません。なぜかというと、ジャンルに沿って勉強をするということは、すでに誰かが体系化した知識の枠組みに沿って勉強するということですから、その人ならではの洞察や示唆が生まれにくいのです。

読書の方法を間違えると「バカ」になるリスクがある

 これは「読書」という行為についての陥穽に関わる話なのでちゃんと説明しておきたいと思います。というのも、読書は、やり方によっては「バカ」になる危険性があるからです。

 この点を明確に指摘してたのが19世紀に活躍したドイツの哲学者、アルトゥル・ショーペンハウエルでした。ショーペンハウエルは、その名も『読書について』という本を残しています。

 この本は徹頭徹尾、読書の功罪における「罪」について考察された本です。たとえば、次のような指摘があります。

「読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。」

 その他にも「本を読むと、こんなにバカになる」という指摘がテンコ盛りなのですが、実は同様の指摘をしている人が少なくないのです。

単なる「物知り」はしなやかな知性を発揮できない

 たとえば「知は力なり」という名言で知られるイギリス・ルネサンス期の哲学者、フランシス・ベーコンも、その著書『随想集』の中で次のように指摘しています。

「信じて丸呑みするためにも読むな。話題や論題を見つけるためにも読むな。しかし、熟考し熟慮するために読むがよい。」

 この指摘もまた、批判的態度を失った丸呑み読書の危険性について指摘するものです。知的戦闘力を向上させるという目的に対して、読書という手段は避けることができない。

 しかし一方で、ショーペンハウエルやベーコンが批判するような「丸呑み型読書」を繰り返していたのでは、確かに「物知り」にはなるかもしれませんが、領域を横断しながら、しなやかな知性を発揮するような「知的戦闘力」を獲得することは難しいでしょう。

(本稿は、『知的戦闘力を高める 独学の技法』から一部を抜粋・編集したものです)

>>続編『古い知識にしがみついてばかりの「残念な人」にならないための効果的なインプット法とは?』を読む