技術が発展した未来の「豊かさ」

関根 貨幣価値に還元できない「豊かさ」の重要性については、当社編著の書籍『スリーエックス 革新的なテクノロジーとコミュニティがもたらす未来』でも注目しています。具体的には「健康維持・心身の潜在能力発揮」「多様性の尊重とつながりの確保」「新たな価値創出と自己実現」といった目標を掲げて未来を論じています。

斎藤 そのような未来の価値観に、私も同意します。けれども、資本主義を維持する限りその実現は不可能ではないでしょうか。資本主義下の現実においては、テクノロジーも金もうけの道具となります。その結果、労働者のほとんどが能力を十分に発揮する機会を与えられないまま、単調な労働を強いられています。常に競争に追われ、消費に駆り立てられ……。そんな生活をしていたら健康は損なわれるし、競争と能力主義の下では、多様性も踏みにじられる。自己実現どころではありません。GDPだけが価値の指標になるような社会をぶっ壊して「脱成長」を志向しなければ、おっしゃるような目標達成はあり得ないと思います。

『人新世の「資本論」』著者に聞く、「脱成長」は環境問題の唯一のアンサーか斎藤幸平
1987年生まれ。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門は経済思想、社会思想。Karl Marx’s Ecosocialism:Capital,Nature,and the Unfinished Critique of Political Economy(邦訳『大洪水の前に』)によって、権威ある「ドイッチャー記念賞」を歴代最年少で受賞。同書は世界五カ国で刊行。編著に『未来への大分岐』など。

関根 しかし、「成長したい」「発展したい」という志向性は、人間が根源的に持っているものだと思います。

斎藤 経済成長をやめると社会が停滞する――。これは、「脱成長」を主張したときにしばしば受ける反論です。しかし、経済成長を否定したからといって、人間のウェルビーイングの実現や、新たな能力の開花といった「発展」まで否定する必要はありません。むしろ、成熟した資本主義から脱却することこそが、さらなる人類の発展のために必要なのです。

 これをマルクスは「必然の国」「自由の国」に分けて議論しました。前者は生きるために不可欠な衣食住などを確保する活動、後者は恋愛やスポーツ、芸術活動や政治活動など、いわゆる「人間らしい活動」を指します。必然の国を縮小しなければ、自由の国が拡大できない。そのために大事なのが労働時間の短縮です。だって、毎日10時間もの労働を強いられていたら、自己実現などできませんからね。もう一つ重要なのが、平等です。今の社会は1%のエリートが能力を自由に開花させるために、残りの99%の人々が犠牲となって、奉仕する構造になっています。例えば、一流企業で長時間労働をする男性とそれを支える女性というジェンダー不平等を考えれば分かりやすいでしょう。

 技術をどんどん発展させれば生産性が高まり、労働時間が短縮できる、という反論もあります。しかし、技術が目覚ましく進歩したこの100年で、労働時間は減ったでしょうか? 生産性が高まれば企業はより多くの商品を生産し、広告で売り付けようとする。人々はそれを買うために、さらに必死に労働します。技術が進展すればするほど労働時間は増えるのです。長時間労働で経済を成長させながら環境負荷を減らそうというのは明らかに矛盾です。労働そのものを減らした方がよほど効果的ではないでしょうか。