確かに、45歳くらいで過去のビジネス経験を生かしつつ、起業したり、スタートアップ企業に身を投じたりするビジネスパーソンが続々現れるなら、それは社会として素晴らしい。本人にも幸せな場合があるだろう。

 ただし、中年期に経済的な収穫期を迎える日本企業の人事制度のままでは、離職者にとって「機会費用」が大きすぎる(捨てる報酬が大きい)。だから、「45歳で定年にしてしまえばいい」ということなのかもしれないが、「45歳までにいくら払うのか」「45歳からの再出発のために、会社はどんな支援をするのか」という辺りを大いに情熱的に説明しないと、人は納得するまい。

 それに、率直に言って、全てのビジネスパーソンが、勉強の意欲とビジネス的な野心に満ちているわけではない。あえて友達口調を許してもらえば、「新浪さん、世の中の大半のビジネスパーソンは、あなたほど勉強熱心なわけでもないし、あなたほど機会に恵まれているわけでもないよ」。

日本の「定年」をどうするか?
この問題は重要かつ複雑だ

 新浪氏の「45歳定年」発言は、経済同友会の夏期セミナーで出たらしいが、一連の発言の中で彼は、政府が企業に対して70歳まで社員を雇用する義務(当面は努力義務)を課そうとしている方針に対して危機感を表明している。

 わが友人が、今さら経済団体などというつまらないものに関わっているのかと思うと、筆者は複雑な気持ちになるが、それはおいておこう。「定年」の問題は重要だ。そして、いささか複雑だ。

 まず企業経営サイドから見て、近年65歳まで延ばされた雇用の義務を、矢継ぎ早に70歳まで延ばされることは、人件費コストの点からも人の滞留の点からも頭の痛い大問題だ。

 現在、典型的な大企業では、「55歳で役職定年(「部長」などの肩書きが外れる)、60歳で一応定年、それ以降65歳まで雇用延長ないし再雇用」といったキャリアパスが用意されている。ところが、65歳まで会社に留まった場合に社員がモチベーションを高く保つことは容易ではない。こうした社員が70歳までどんよりと留まるのだとすると、企業にとっては重大な問題だ。

 一つには、雇用義務年齢の引き上げは、着々と長寿化する社会の高齢者扶養を、国が企業に押しつけようとしていることから問題が起きている。しかし、企業による福祉は、企業の体力や業態によって差があるし、限界がある。

 一方、公的年金制度などを含む社会保障制度を大きく変えるには巨大な政治的・行政的エネルギーを要する。企業に「あと5年、社員の面倒を見るように」と要望するのは政府にとって簡単で安易な方法だ。しかし、「一律70歳」は無理だ。企業にそこまで求めるのはいかがなものか。