4 改善よりも部下の人材育成のためにアイデアをまとめさせる訓練を積ませたい。
提案活動を本気でやっても意味がなく、人材教育の一つの機能くらいに考えている上司というのは、意外に多い。新規事業を提案させるのも、単なる訓練であり、提案内容を真面目にやろうなどとは、はじめからつゆほども思っていない。なぜこうなるかというと、「本当に改善や変革をしても、社内であつれきがありすぎてできない」とか「人材育成が大事と思い込んでおり勉強させるのが好き」だからである。
いずれにしても、上司がこういう人だと、3とは違った理由で、いくら何を提案しても行動には移されない。私自身は、こうした意味のない提案活動は人材育成でもなんでもなく、ただのママゴトでしかないと思っているが、人材難の昨今、企業の中には、「人材育成のため」といえばそれだけで免罪符を得られる企業もあるようだ。
「提案してほしい」に
どれだけ真面目に付き合うか
上記のような理由から、知恵をしぼって、真面目に提案したからといって会社が簡単に変わるわけでもなければ、あなたの素晴らしいリポートが日の目を見るわけでもない。上司からの覚えがめでたくなるのは、あなたのアイデアを上司の上司が褒めたときだけだが、それもほとんどの上司はあなたが考えたとは言わず、自分が考えたと言うだろう(「実はこれは部下のアイデアです」と言える人はたいへん優れた人で、こういう人が上司だと幸せになれる。その場合は、その上司に付いていけばよい)。
そういうことが一度あれば、その後も上司がアイデアに困ったときには、あなたを知恵袋的に使おうとするだろうが、毎回いいように使われて、それで終わりである。したがって、真面目に提案書など書いても仕方がないといえば仕方がないのだ。
では、100%無駄かというと、そうとも言えない。まず、このような提案書を書き続けていると、提案書の書き方の勘所がわかったりもする。さらには、その活動を通じて社内外の新しい動きを勉強できることもある。新しい人脈ができることもある。あるいは、そういう無駄かもしれない作業を喜々として引き受けていると「キャラクターが立って」きて、いつもリポートを書いている○○さんというふうに認識され、ひょっとするとまったく関係ない会議の席などで、誰かがあなたのことを思い出して、「あいつは面白いやつだ」と評判になったり、意欲と能力のある別の偉い人の目に留まったりすることもないではない。会社には人間観察が趣味みたいな人や、趣味でなくとも人の言動の機微が自然に見えてしまう人、見ている人はいるものなのだ。
こういう明らかに使い捨てにされそうな場面に張り切って提案書を書いても短期的には何らメリットはないのだが、長期的に見れば必ずしも無駄とは言えないのが不思議なところである。犬も歩けば棒に当たる。どう考えても得をしない提案書を書き続けるようなもの好きはほとんどいないから、いつか注目され、チャンスをもらえる可能性が高くなるのだ。とくにコロナで、リモートワークの割合が増えてからは、飲み会や、ちょっとした雑談や、社内のレクリエーションなど、仕事以外で個性をアピールする機会が激減しているからなおのことである。
上司の「何か提案してほしい!」は、提案しても何も起こらない。しかし、自分の考えをレベルアップし、しっかりまとめる機会ととらえて何かを残していけば、それはそれで自分の実になるし、ひょんなことで、思いもかけない出会いや、チャンスにつながるかもしれないというのが、私が知りうる多くの会社の状況から言える経験則ではある。もちろん、時代は変わってきているし、うちは何をやっても無理というところもあるだろうから、どの程度上司の要望に付き合うのかは、あくまで個々人の判断次第であるが。
(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)