人間は時間について、
どのように考えてきたのか

 この空間、自分たちが生きている世界は、どうしてできたのだろうと考え始めた人間は、次に時間の存在について思索を開始しました。

 太陽の動きと月の満ち欠け、そして一日の始まりと終わり。人間にとって時間との関係は、まず、時間をいかに管理するかという問題でした。その結果として生まれてきたのが暦(こよみ)です。

 最古の太陽暦の一つはエジプトで、ナイル川の氾濫を予知する目的でつくられました。

 ナイル川は一定の時期に増水して氾濫し、そのときに上流から大量の土砂を運んできます。そして水が引いた後に肥沃な大地を残していきます。

 この豊かな大地が農作物の豊穣をもたらしてくれるのです。

 生きるためには農業がすべてであった時代のことです。

 人々は、ナイルの氾濫を待ち望みました。

 そしてそのときが訪れる頃には、日の出直前の空におおいぬ座のシリウスが出現することを、長い歳月をかけて知りました。

 その日がいつ訪れるか? そのことを知るためにエジプト人は、夜空を見つめ、太陽の動きを観察し続けたのでしょう。

 太陽が一番長時間、空に輝く日(夏至)を頂点として、一番昼間が短い日(冬至)に向かって衰えていく。それからまた、日射しを伸ばしていく。そういうサイクルであることを、古代のエジプト人は学んだのです。

 こうして彼らは、一年という周期を意識するようになった。すなわち地球が太陽を回る周期(約365.24日)を知り、その知識をもとにして太陽暦をつくったのです。

 一年という概念に比べれば、一日の変化の意味はより理解しやすかったことでしょう。

 朝に東から太陽が昇り、夜になると西に沈み、また朝になると太陽が昇る。この一日を小回転と考えれば、一年は大回転であるなと。

 しかし、一日を何回も何回も繰り返さないと、一年という大回転にはなりません。

 一日と一年の時間差が大きすぎて、時の流れを十分に把握しきれなかった。

 そのときに注目したのが、夜空の月です。

 月は見えない夜(新月、朔(ついたち))から始まって、丸くなる夜(満月)となり、また細く欠けていく。この月が地球を一回転する周期に、およそ29回(約29・53日)の夜を重ねることを学びました。

 こうして人は一日と一年、一月という概念を身につけたのです。

 なお、一週間の起源については、七曜(太陽、月、火星、水星、木星、金星、土星。肉眼で見える大きな星のことで、中国の五行説と結ばれました)に由来する、あるいは太陰暦の一ヵ月を4等分したものであるなどといわれています。一週間はメソポタミアが起源です。

 この月の満ち欠けは日数を知るのに便利でしたので、これを利用してつくられた暦が太陰暦です。

 実は、歴史的には太陰暦のほうが早くからメソポタミアで使われていました。

 暦についての詳述は避けますが、太陰暦で一年を構成すると約354・36日となります。

 エジプトで最初に太陽暦がつくられた理由は、太陰暦だと、太陽の大回転する日数(約365・24日)に約11日ほど足らなくなります。

 それでは、農作の恵みをもたらす大氾濫の訪れを、規則的に把握できないことを知り、太陽暦を考えついたのです。

 なお、太陽暦の365日に合わせて、日数を調節してつくられたのが太陰太陽暦(太陰暦に閏月(うるうづき)を入れて約11日の短さを補った暦)です。

 メソポタミアではBC2000年紀には、すでに太陰太陽暦が使用されていました。

 現代ではイスラーム社会の太陰暦を除いて、ほとんどの国が太陽暦を使用しています。日本は1872(明治5)年に太陽暦へ切り替えるまで、太陰太陽暦を使用していました。

 明けない夜はなく、春はまた巡ってくる。

 暦を考え出したことで人間は円環する時間を管理するようになりました。

 けれど、その円環する時間の中で生きている人間の一生は回転して再生しないことにも気づきました。

 誕生して歩き始め、大人になり、やがて老いて死んでいく。人間の一生は直線なのです。青春は戻ってはこない。

 自然を司(つかさど)る円環する時間と人生を支配する直線の時間、2つの時間があるという概念を知った人間には、次のような思いが浮かんできたのではないでしょうか。

 人生の直線が終わった後はどうなるのか、どこかに行く世界はあるのだろうかと。

 あるいは人生が始まる前は、一体どこにいたのだろうかと。

 この本では、哲学者、宗教家が熱く生きた3000年を出没年つき系図で紹介しました。

 僕は系図が大好きなので、「対立」「友人」などの人間関係マップも盛り込んでみたのでぜひご覧いただけたらと思います。

(本原稿は、11万部突破のロングセラー、出口治明著『哲学と宗教全史』からの抜粋です)