「元・日本一有名なニート」としてテレビやネットで話題となった、pha氏。「ゆるい考え方が参考になる」「無理に消耗しない生き方に共感した」など、絶大な支持を集め続ける。そんな彼は、「一般的な生き方のレールから外れて、独自のやり方で生きてこれたのは、本を読むのが好きだったからだ」と語り、約100冊の独特な読書体験をまとめた著書『人生の土台となる読書』を上梓している。
本書では、「挫折した話こそ教科書になる」「本は自分と意見の違う人間がいる意味を教えてくれる」など、人生を支える「土台」になるような本の読み方を、30個の「本の効用」と共に紹介する。(初出:2021年12月11日)
「現実」を受け入れる方法
この世界や宇宙や人生なんてものはすべて無意味なものだ。
しかし、人間はすぐに妄想をして、勝手な意味や物語を作り出してしまう。
それは人間の面白いところでもあるけれど、弱さでもある。
たとえば、失恋をして苦しいのは、相手が自分のことを好きになってくれるはずだという間違った妄想を頭の中で育ててしまったせいだ。
相手が自分のことを好きにならないということなんて、本当は最初からわかっていたはずだ。
だけど、自分に都合の悪い部分を見て見ぬ振りをして、勝手な物語を作り上げてしまっていた。勝手な妄想が勝手に破れて勝手に苦しんでいる。なんて勝手なんだろうか。
勝手な物語を作らず、現実を正しく認識すれば苦しむことはない。ブッダもそういうことを言っていた。
悲しみに向き合うための「ブッダの教え」
あるところに小さい子ども亡くして深い悲しみにくれている母親がいた。
彼女はブッダの元を訪れ、子を生き返らせてもらえないか、と相談する。
ブッダはこう言った。
「この村の家からけしの実をもらってくれば、亡くなった子を生き返らせてあげましょう。ただし、これまでに一度も死人を出したことのない家からもらってきてください」
彼女は村の家々を回った。
しかし、一度も死人を出したことのない家は存在しなかった。
死というのは当たり前のことだ。
誰も彼も必ず死ぬ。それは誰にも避けられないことだ。
だけど、「この子が死ぬなんてありえない」と思っていたから、彼女は苦しんだ。それは間違った思い込みだったのだ。
現実とはかけ離れた妄想を抱いているから人は苦しんでしまう。そのことに気づいた彼女は、出家して悟りの道を目指したという。
「悟り」という状態
それでは、仏教が目指している悟りとは一体どういうものなのだろうか。
魚川祐司『仏教思想のゼロポイント 「悟り」とは何か』では、「悟り」という状態のことを、次のように説明している。
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私達衆生にはその生来の傾向として、対象を好んだり嫌ったりして、それに執著する煩悩、即ち、貪欲と瞋恚が備わっている。こうした煩悩の作用に無自覚であり続けることによって、私たちは「物語の世界」を形成し、それに振り回されて苦を経験するわけだから、この瞋恚と貪欲、即ち「憎愛」のはたらきを止めさえすれば、そこは直ちに現法涅槃の境地になるわけである。
『仏教思想のゼロポイント 「悟り」とは何か』より引用
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「執著」は執着のこと、「瞋恚」とは怒りや恨みのことで、「現法涅槃」とは現世で悟りを得ることだ。
難しい言葉が多いけれど、簡単な言葉に直すと次のような内容になる。
人間は欲望を持つことで、勝手に自分に都合のいい物語を作り出してしまう。
だけど、その物語は、現実とは食い違っている。だから、そこに苦しみが生まれる。
物語を作り出すことを止めて、世界のありのままを認識できるようになれば、執着から解放されてラクになれる。それが、悟りなのだ。
人間を苦しませるのは、自分が勝手に作り出した意味や物語だ。
現実を正しく認識して、不可能なことを可能だと思わなければ、苦しまずに済む。
そうは言っても、それは簡単にできることじゃない。それができるなら、この世は悟りを開いたブッダばかりになってしまう。
それでも、「どうすれば苦しみはなくなるか」という方向性を知っておくと、それだけでラクになることは多いと思う。
自分の中の妄想を止めることを、ときどき意識してみよう。
1978年生まれ。大阪府出身。
現在、東京都内に在住。京都大学総合人間学部を24歳で卒業し、25歳で就職。できるだけ働きたくなくて社内ニートになるものの、28歳のときにツイッターとプログラミングに出合った衝撃で会社を辞めて上京。以来、毎日ふらふらと暮らしている。シェアハウス「ギークハウス」発起人。
著書に『人生の土台となる読書』(ダイヤモンド社)のほか、『しないことリスト』『知の整理術』(だいわ文庫)、『夜のこと』(扶桑社)などがある。