「古くからの風習」には意味がある
『進化と人間行動』の中で多くのページを割かれているのは、性と血縁に関する部分だ。性と血縁というのは、遺伝子を残すための一番の戦場だからだ。
この本ではさまざまな民族の性や血縁についての習慣が紹介されていて面白い。
たとえば、西カロリン諸島のイフォークという民族では、子どもは親ではなく、母方の伯父と一緒に暮らすらしい。
不思議に思えるが、それには合理的な理由がある。
それは、イフォークでは性的関係がわりとオープンなので、母親から生まれた子どもがその夫との間にできたものかどうかが不確かだからなのだ。
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母親にとっては、赤ん坊が本当に自分の子であるかどうかは、現代の病院でまれに起きる事故を除けば、間違いなく確認することができます。一方、父親の確からしさには、つねに不確定性がついてまわり、それは、性関係が自由な社会であるほど大きくなります。
『進化と人間行動』より引用
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夫から見ると、自分の妻から生まれた子どもは自分の遺伝子をまったく受け継いでいない可能性がある。
だけど、自分の姉妹は確実に自分と遺伝子を共有している。そして、姉妹の子どもも姉妹を通じて自分と遺伝子を共有している。
ならば、自分の妻の子どもより、自分の妹の子どもを育てたほうが、自分の遺伝子をあとに残すことに繋がるのだ。
一見、不思議な風習に思えることも、論理的に説明できてしまうのが、進化心理学の面白さだ。
学問は「余裕」を生み出す
進化心理学は、人間が持っている愛も欲望も裏切りも、子どもをかわいいと感じるのも、仲間を助けたいと思うのもすべて、「遺伝子を残す確率を上げるためにそうなっているだけだ」と、ズバッと説明してしまう。
そんなふうに人間の感情をすべて進化論で説明してしまうのは、不愉快に思う人もいるかもしれない。
だけど、僕はそういうのがとても好きだ。
「助け合うのは人間の美徳だ」とか「愛が大事だ」という道徳論よりも、「助け合うのが生存に有利だったからそういうふうに進化しただけだ」と説明するほうが、ベタベタしていなくて爽快だと思う。
進化論を元にして考えると、人間の行動を、少し引いた目で見ることができる。
たとえば、やたらと威張っている人や、異常に恋愛に依存している人がいたとする。
そんなとき、「なんでこんな嫌な人が存在するんだろう」とか「間違っている」と切り捨てるのではなく、「ああいう生き方は好きじゃないけど、進化論的に有利さがあるのは否定できないな」と考えればいい。
そうすれば、他人に対して余裕を持って対応することができるのではないだろうか。
1978年生まれ。大阪府出身。
現在、東京都内に在住。京都大学総合人間学部を24歳で卒業し、25歳で就職。できるだけ働きたくなくて社内ニートになるものの、28歳のときにツイッターとプログラミングに出合った衝撃で会社を辞めて上京。以来、毎日ふらふらと暮らしている。シェアハウス「ギークハウス」発起人。
著書に『人生の土台となる読書』(ダイヤモンド社)のほか、『しないことリスト』『知の整理術』(だいわ文庫)、『夜のこと』(扶桑社)などがある。