「元・日本一有名なニート」としてテレビやネットで話題となった、pha氏。
「一般的な生き方のレールから外れて、独自のやり方で生きてこれたのは、本を読むのが好きだったからだ」と語り、約100冊の独特な読書体験をまとめた著書『人生の土台となる読書』を上梓した。
本書では、「挫折した話こそ教科書になる」「本は自分と意見の違う人間がいる意味を教えてくれる」など、人生を支える「土台」になるような本の読み方を、30個の「本の効用」と共に紹介する。
死が「運次第」の世界
死が出てくるマンガが好きで、よく読む。医者マンガや登山マンガによい作品が多い。どちらも生き死にの話がよく出てくる。登山マンガには夢枕獏原作、谷口ジロー作画の『神々の山嶺』など名作が多いのだけど、ここでは石塚真一『岳』を紹介したい。
このマンガは日本アルプスが舞台で、遭難した人を助ける山岳ボランティアをやっている島崎三歩が主人公だ。1話ごとに誰かが遭難して、三歩がそれを助けていく、という話なのだけど、結構な頻度で人が死んでしまう。
声が大きくて元気な三歩は、生きている人間に対するのと同じように、死んでしまった人にも、「よく頑張った!」と声をかけて抱きしめる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本当に良く頑張ったね。オレは島崎三歩。山を登りに来たあなたのことを忘れないよ。約束する。
『岳』1巻より引用
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
人の命を軽視するわけじゃないけれど、山では死が身近にありすぎるので、必要以上に悲しみすぎないという、そんな態度がいい。
山での死というのは、殺人や事故と違って誰かのせいにはできないし、病気や老衰のように予想もできないし、突然に運次第でやってくるものだ。
だから、死んでしまっても誰かを恨んだりするという感じにはならなくて、「人は死ぬものだからしかたない、みんなよく頑張った」というカラッとした感じで取り扱っている。
本当はすべての死をそういうふうに取り扱えたらラクなのかもしれない。現実ではなかなか難しいことだけど。
どうやらみんな死ぬらしい
カズオ・イシグロの小説『わたしを離さないで』は、ある学園で暮らす少年少女たちの話だ。学園の中で彼らが、恋愛をしたり、友達と仲違いをしたり、将来に夢を持ったりという日常の様子が丁寧に描写されていくのだけど、実は彼らはある目的のために生かされていて、近い将来に死を運命づけられているのだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いいですか、あなた方は誰もアメリカには行きません。映画スターにもなりません。先日、誰かがスーパーで働きたいと言っていましたが、スーパーで働くこともありません。あなた方の人生はもう決まっています。これから大人になっていきますが、あなた方に老年はありません。いえ、中年もあるかどうか……。
『わたしを離さないで』より引用
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
筆力があって登場人物の感情が細かくリアルに感じ取れるだけに、過酷な物語展開がつらい。どこかに救いがないかと探してみても、あまりない。
彼らはどうしてあんなに大人しく自分の運命を受け入れるのだろうか。
どうせ近いうちに死ぬのなら、生きていることが虚しくならないのだろうか。
そこまで考えて、ふと思う。どうせいずれ死ぬのは彼らだけじゃない。
僕らだってそのうち必ず死ぬ。本質的には何も変わらない。
ただ僕らは普段それを見ないようにして、忘れているだけだ。世界の本質はそのように残酷なものだ。
どう生きていくべきか、「死」から考える
それでも生きる人間の意味というのは何なのだろうか。
もし彼らの人生に意味がないのなら、僕らの人生にも同じように意味がないのは確かだ。
死はネガティブなものだけど、死について考えることで、逆に生きることの貴重さが浮かび上がってくる。
人生とは何か。自分はどういうふうに生きていくべきか。
そういった本質的な問題は、日常の生活に追われているとよくわからなくなってしまう。
だけど、死について考えると、ハッと目が覚めたような気分になって思い出す。
よりよく生きるために、死についての本をときどき読んでみよう。
1978年生まれ。大阪府出身。
現在、東京都内に在住。京都大学総合人間学部を24歳で卒業し、25歳で就職。できるだけ働きたくなくて社内ニートになるものの、28歳のときにツイッターとプログラミングに出合った衝撃で会社を辞めて上京。以来、毎日ふらふらと暮らしている。シェアハウス「ギークハウス」発起人。
著書に『人生の土台となる読書』(ダイヤモンド社)のほか、『しないことリスト』『知の整理術』(だいわ文庫)、『夜のこと』(扶桑社)などがある。