実力以上の結果を出し、人より抜きん出た存在になるには、努力と能力だけでは足りない。周囲の人の認識を自分の味方にし、だれから見ても魅力的な人物になる力「EDGE」(エッジ)を手にすることで、思いどおりの人生を歩むことができる。全米が大注目するハーバードビジネススクール教授、待望の書『ハーバードの人の心をつかむ力』から特別に一部を公開する。(初出:2021年12月30日)
周囲にあわせても、
長い目で見るとマイナスになる
胸に刻んでもらいたい。だれもがなんらかのレッテルを貼られていることを。
他人の思い込みやレッテルは、だれにでもつきまとう。だから、より多くの特権を得ようとする競争に参加したところで、長期にわたる成功をおさめることはできない。長い目で見れば、そしてあなたの人生を俯瞰すれば、いくらうまくいっているふりをしたところで、それは一時的な気休めにしかならない。そもそも長続きしないのだ。自己不信に陥り、不安ばかり感じていれば、そのもやもやとした気持ちをいつまでも引きずることになる。
固定観念にあわせるしかないという恐怖心はきわめて強く、いくら「エリート集団」の一員になろうと努力したところで、結局は自分が正当な評価をしてもらえないのではと不安になり、いっそうの自己不信に陥るだけだ。
これこそ、私が工学を学んでいる間に体験していたことだった。私のほかに電子工学を専攻する女子学生は3人しかいなかった。そして女子学生たちはみんな、いわゆる「男らしい」特質をもってはいなかった―それなのに、私たちはいかにも「理系男子」のようにふるまおうと努力していたのだ。
研究によれば、数学を学ぶ女性、また職場のマイノリティはこうしたふりをするという。そうすれば、たしかに一時的には波風を立てずにすむが、長期にわたる成果にはマイナスの影響が及ぶのだ。
自分以外のふりをすると起こること
さて、じきに私も自分がエリートの一員のようなふりをしていることに気づいた(私の友人は「さえない白人男性」程度の自信はもつようにしていたそうだ)。
そこで、文化、規範、環境がいわゆる「エリート」によって定められている環境では、自分が望む方向に会話を誘導することにした。なにも万人が「エリート」のふりをするとはかぎらない。その場の状況に応じて、人はあらゆるタイプになろうとする。
たしかに私にもエリート集団の一員であるようなふりをした時期があったが、仕事を始めてしばらくすると、これではいけないと自戒するようになった。自分でないだれかのようにふるまうと、結局、トラブルに巻き込まれることがわかったのだ。というのも、男性のようにふるまうと―というより、いかにも男性らしいと私が自分以外のふりをすると起こること思う行動をとると―十中八九、反感を買ったからだ。やけに攻撃的な女だと思われ、結局、なんの成果もあげられなかったのだ。
さて、私が新たな仕事に就いたときのことだ。師として仰ぐ尊敬する先輩が「きみの今度の仕事では、人脈づくりや権力者とのコネづくりが欠かせないぞ」と教えてくれた。「だから社内のいろいろな人に連絡をとり、自信をもった口調で、コーヒーでも飲みませんかと誘ってみなさい」と。私はその教えを守り、いくつかコネをつくり、ほんの数回、コーヒーを飲みながらのミーティングまでもち込むことができた。
ところが、こうした体験を何度かしたあと、これでは表面的なつきあいしかできていないと思うようになった―相手に心をひらいてはもらえない、と。いつも表面的なアドバイスしかもらえなかったし、いつも判で押したような会話が繰り返されていたのだ。きみのような人材がいてくれてありがたい、わが社はきみのようにやる気があって新たな仕事を開拓しようとしている社員にはいくらでもチャンスを用意している、大勢の人と知り合いになっておきたまえ……。
だから、いくら重要人物と面談する機会を得ても、有意義な関係を築けた実感はまったく湧かなかった。それなのに周囲の同僚たちからは、「この前、部長が高級寿司店に連れていってくれて、ITチームを紹介してくれたんだ」「営業成績の表彰式に、専務が呼んでくれた」などと、お偉いさんたちと親しくなったという話をよく聞かされた。なかには「まったく、今日はバテバテだよ。例の重役に午前3時頃までバーにつきあわされてさ」と、自慢そうに話す同僚までいた。
あきらかに、私にはそこまで人脈づくりができていなかった。悩んでいると、また助言を受けた。「とにかく、がむしゃらにアタックしてみろ。ランチに誘ったり、飲みに誘ったりするんだ。ただコーヒー片手の面談じゃ話にならんぞ」と。
けれど、私は頭の片隅で、こう考えていたのを覚えている。「私にそんなことできるはずないでしょ。アジア系の若い女なのよ? どうやって会社の上級管理職の男性を飲みに誘えっていうのよ?」。
そんな真似ができるはずがない。自分には無理だと、直感的に悟ったのである。ところが、そのわずか数週間後、社内の上層部と知り合いになる能力が自分にもあることがわかった―それも想像を超えるほど心をひらいてもらい、ありのままの自分を知ってもらうことができたのだ。