実力以上の結果を出し、人より抜きん出た存在になるには、努力と能力だけでは足りない。周囲の人の認識を自分の味方にし、だれから見ても魅力的な人物になる力「EDGE」(エッジ)を手にすることで、思いどおりの人生を歩むことができる。全米が大注目するハーバードビジネススクール教授、待望の書『ハーバードの人の心をつかむ力』から特別に一部を公開する。

ハーバードで教える「人は何秒で相手にレッテルを貼る」のか?Photo: Adobe Stock

人間の認識には
生死を左右するほどの影響力がある

 あなたに対する他人の認識が毒物になったとしても、「エッジ」をつくりだせば、その毒を排除できる。(エッジに関する関連記事:ハーバードで教える「成功する人、しない人」決定的な差

 人間の認知力には限界があるが、私たちはその認知力に頼って集団をつくり、世の中の出来事や出会った人たちのことを把握しなければならない。そこで古代の祖先たちは周囲の危険を把握するために、進化の過程で「闘争・逃走反応」を示すようになった。つまり危険を察したときに、「闘うか、逃げるか」を瞬時に判断しようとするわけだが、そのせいで、いまだに人々の間には偏見が生じ、だれかが不利な立場に追い込まれている。

 自分と同じ世界に属する人間をあからさまにえこひいきをして、同じ世界に属さない人間には偏見をあらわにするからだ。

 たとえば、企業の採用担当者が「年寄りはテクノロジーに疎い」と考え、高齢者を不採用にすることもあるだろう。ときには偏見をもっていることに、自分でも気がつかない場合がある

 たとえば、就職活動の面接では、長身の応募者のほうが採用されやすい。研究によれば、背の高い人のほうが賢く、よきリーダーになり、最終的には人生で大きな成功をおさめると考えている人が多いからだという。実際、アメリカで182センチ以上の身長がある人は人口の約15%にすぎないが、CEOのなかでそれだけの身長がある人は58%にも及ぶ。また身長が187センチ以上ある人は人口の約4%しかいないのに、CEOの場合は33%に及ぶ。

 私は同僚と調査した結果、外見が魅力的な人は、男女を問わず、とくに男性に対して好印象を与える確率が高くなることを突きとめた。また私が調査したところ、患者と医療従事者のやりとりと、治療における決定は、その患者がどのくらい痛みに強いと見なすかによって変わってくることが判明した(女性のほうが痛みに強いと思われるのだ)。

 この例からもわかるように、人間の認識には文字どおり生死を左右するほどの影響力がある。

 認識と偏見が及ぼす影響には大小あるが、きわめて深刻な悪影響を及ぼすこともある。たとえば、黒人女性は白人女性より、妊娠中に命を落とす例が3倍から4倍も多い。なぜなら、黒人女性のほうが痛みに強いという思い込みがあるため、白人女性と同じように痛みを訴えても、鎮痛剤をあまり処方してもらえず、高度な治療も勧めてもらえないからだ。

偏見や不利とは「認識のゆがみ」

 そうした誤った認識は性差にまつわるものだけではない。「偏見」と聞けば、人種や民族に対する偏見を思い浮かべる方が多いだろうが、ここではっきりさせておきたい。

 世の中に、偏見をいっさいもたれない人などいない

 競争社会のヒエラルキーのように、偏見をもたれる人間が下層にいるわけではない。状況によって、だれもが不利な立場に追い込まれかねないのだ。

 たとえば私自身、はなはだしい偏見にさらされた男性の例を数多く見てきた。先日、フィラデルフィアのある校区では、男性教師より女性教師の賃金水準がはるかに高いうえ、女性の教歴をより高く評価していることが発覚した。

 ここで注意すべきなのは「偏見を受けるのは不利な少数派だけではない」ということ。偏見はいたるところにはびこっていて、その形もさまざまだ。

 たとえば、だれかに「特権を享受している金持ちの息子」のレッテルを貼るのは簡単だ。だれもが例外なく、なにかしら問題を抱えていることなど、つい忘れてしまうからだ。それに、ある特定のタイプの人が偏見を示すわけでもない。たとえば私が調査したところ、男女を問わず、だれもが男性の起業家に好感をもちやすいことがわかった。

 私たちが「偏見」とか「不利」とか呼ぶものは、実際のところ、認識がゆがんでしまった結果なのだ―社会における「善」と「悪」のイメージと、相手に対する認識とを勝手に結びつけた結果なのだ。