この適正規模を超えて起こる金融の膨張は、その国の経済発展の速度を鈍らせ、他の領域にまで悪影響を及ぼす。その意味では、イギリスの金融セクターは適正規模をすでに超えてしまっている。

そこで、新たな疑問がいくつか湧いてくる。まず、その適正規模超えの転換点はどこにあったのだろうか? 次に、その結果引き起こされた損害はどれくらいなのか?

最初の疑問については、歴史的・政治的観点から、1950年代に今日の問題の種がいかように蒔かれたかに触れる。

1950年代は、イギリスが帝国としての植民地を失い、国内では強力な民主主義勢力に直面したシティが、利益と権力を制限された結果、金融以外の経済分野に前例のない成長をもたらした時代だ。その後、シティは新たなグローバル金融モデルを構築し、その成功ゆえに、このシティの再生劇を第二の大英帝国の夜明けと称する人もいるほどだ。このような黎明期を経て、1970年代に顕現し始めたこの新しいモデルがイギリスに深刻なダメージを与え始めた。

2つ目の疑問に関しては、さらにデータに基づいた分析ができる。2016年に米金融学の専門家で、金融化の権威であるマサチューセッツ大学のジェラルド・エプスタイン教授とコロンビア大学のジュアン・モンテシーノが共著で「Overcharged:The High Costs of High Finance」という報告書を出した。それはアメリカにとっての金融の呪いのようなもので、すでに確立された手法を用いながら、アメリカにおける肥大化した金融セクターのもたらした総体的な負の側面の算出を試みたものだ。その結果やいかに?

米金融システムは1990~2023年の間に、アメリカ経済に対して12兆9000億~22兆7000億ドルもの余分なコストを課し、「現在の金融制度の維持が、ネット(正味)ベースでアメリカ経済の足を引っ張ることになる」ものであった。

計算式では、金融セクターのアメリカ経済に与える利益から、同セクターの課すコストを差し引くと、その額は平均的なアメリカの一般家庭当たりに換算して、ネットでおよそ10万5000~18万4000ドルに相当する金額となる。このマイナス分がなければ、アメリカの一般家庭は退職時に倍の資産を築けていたはずだ。

皮肉なことにアメリカ経済は、米政府が高給取りの金融業者にその給料の満額を支払って、どこかの高級リゾート地に隔離し、そこで一日中ゴルフに興じさせていたほうが、今よりもっと底堅く好調だったはずなのだ。

2017年にジョン・クリステンセンと私は、エプスタインとモンテシーノ両氏を交えて、これと似たような計算がイギリスでもできないか意見交換をした。計算の結果は、全体として、肥大化した金融セクターがイギリス経済にもたらす損失の概算は、およそ4兆5000億ポンドを超えるというものだ。より具体的でわかりやすい物差しで引き直すと、その数字は国内総生産の2年半分に相当し、一世帯当たり17万ポンドに相当する。その数字を見れば、金融セクターが今よりも小さく、適正規模であったならば、そして社会の公器としての役割を果たし、社会に貢献する存在であったならば、平均的な家庭がどれほど貯蓄を増やし得たかが理解できるだろう。

この数字はあくまで控えめなもの、机上の計算でしかない。しかし、実際には測定が難しいコストも多く存在するので、それらを足し合わせると、数字はもっと大きく膨らむことになる。そのコストの1つに、金融の呪いが人種、性別、地域および世代間などに及ぼす深刻な影響がある。

のちほど指摘するが、金融の呪いはたいていの場合、より恵まれない層から富と権力を搾取し、それらを一番必要としていない層に献上し、結果として広範囲にわたる富および権力の不平等を生み出しているのだ。もう1つの潜在的かつ測定不能なコストとして、この過剰ファイナンス(度を越した金融の提供)によってもたらされた格差の拡大が、多くのイギリス人の間に不公平感をもたらし、ブレグジットに賛成する機運を高めたと考えられる。

さらにもう1つの測定不能なコストとして挙げられるのが、シティに蔓延する数々の組織犯罪や不正行為の増加である。ここでその規模と範囲について、どれほど深く浸透し横行しているのかを証明するのは不可能だ。しかし、「ロバート・ジェンキンズの銀行による悪事の一覧の一部」(‘Robert Jenkins’ partial list of bank misdeeds’)を見れば、ある程度の推測はできる。これは、NGO団体「ファイナンス・ウォッチ」によって、つねに最新の情報に更新される評価報告書だ。