3年以内にフォードに追い付けなければ、
日本の自動車産業の未来はない
株式会社RE-Engineering Partners代表/経営コンサルタント
早稲田大学大学院理工学研究科修了。神戸大学非常勤講師。豊田自動織機製作所より企業派遣で米国コロンビア大学大学院コンピューターサイエンス科にて修士号取得後、マッキンゼー・アンド・カンパニー入社。マッキンゼー退職後は、企業側の依頼にもとづき、大手企業の代表取締役、役員、事業・営業責任者として売上V字回復、収益性強化などの企業改革を行う。これまで経営改革に携わったおもな企業に、アオキインターナショナル(現AOKI HD)、ロック・フィールド、日本コカ・コーラ、三城(現三城HD)、ワールド、卑弥呼などがある。2008年8月にRE-Engineering Partnersを設立。成長軌道入れのための企業変革を外部スタッフ、役員として請け負う。戦略構築だけにとどまらず、企業が永続的に発展するための社内の習慣づけ、文化づくりを行い、事業の着実な成長軌道入れまでを行えるのが強み。著書に、『戦略参謀』『経営参謀』『戦略参謀の仕事』(以上、ダイヤモンド社)、『PDCA プロフェッショナル』(東洋経済新報社)、『PDCAマネジメント』(日経文庫)がある。
磯谷 戦後、トヨタは人員整理をせざるを得ない苦しい経営状態にあった。対談の第一回で述べたように、当時の生産性はフォード、GMの1/8しかない。そこで、喜一郎さんからの大野さんへの指示は、「3年以内に追い付け。それが出来なければ、日本の自動車産業は成り立たない」だった。これが、大野さんのトヨタ生産方式につながっていたんだ。
稲田 トヨタ生産方式が出来上がるのには、そういう背景があったのですね。
磯谷 また、しっかりと調べていくと、その発想のもとは、米国からきたIE(インダストリアル・エンジニアリング)にあるとも言えるのだが。
稲田 私はIEを専攻しましたが、学校で教えられたのは、ものづくりを中心に、細部の作業も含めて、今で言うところのバリュー・デリバリー・プロセスの最適化をすすめる方法論と言う感じでした。でも、そこで教わる方法論はトヨタで行われている合理性追求のアプローチとは、思想と言いますか、考え方が全く違いましたね。あくまで理屈で最適な解を見出して、それを現場にやらせようとする、いかにも、トップダウンの米国式の経営の仕方にそったアプローチでした。もちろん、目ざすところは同じなのですが、その背景にある思想においては、むしろトヨタの対極にあるような方法論だった印象があります。
磯谷 そうかね。要するに、大野さんのやり方は、紡績工場からきているので、現場の人、みんなにわかるようにして、いかに普及させるかということでやってきた。だから、人にわかるように説明するということが重視された。トヨタ生産方式の原点は、自分の目で見ての「見える化」で、目で見て、自分が判断してやることだと言える。
稲田 なるほど。確かにそうですね。
つづく