こんな風に生きていく予定じゃなかった

それから東京に戻ってしばらくしたあと、私は本当に離婚して、バツイチになった。

離婚して数ヵ月経ち、冷静になってみて思うのは、なんというのか、人生ってわかんないもんだな、ということだった。

たかだか数年前だというのに、大学生の頃に立てたライフプランとあまりに大きく変化している。真逆だと言ってもいいかもしれない。自分が求めていたものは、はたしてこんなものだったのだろうかと、改めて、思う。

「生きる」ということは、本当に予想がつかないことばかりで、子どもの頃に思い描いていた「理想の大人」像からは、日々生活をするにつれ、追いつかないどころかどんどん遠ざかっていくような気さえする。本当はもっと、港区か中目黒かどっかのおしゃれなデザイナーズマンションに住んで、クリスチャン・ルブタンのヒールを履いて外資系の会社に出勤し、趣味は旅とバー巡り、ベランダで育てたハーブを使ったお茶を飲むのが日課、みたいなライフスタイルを送るはずだったのに。

なのに、今の自分ときたらどうだ。趣味など特になく毎日仕事のことばかり考え、服はだいたい上下四パターンのサイクルを適当に回しているだけ、自炊もせず、ファミリーマート・餃子の王将・すしざんまい・マクドナルド・ミニストップのエンドレスループである。髪は乾かす時間がなく湿ったままで出社することすらあり、ハーブティーどころか、最後にポットで淹れたお茶を飲んだのがいつだったのかも思い出せない。

そう、人生とは、本当にわからないものである。子どもの頃の自分が、高校生の頃の自分が、大学生の頃の自分が、今の自分を見たら、一体、なんて言うのだろうか。いや、まさかと、顔を青くするかもしれないな、と私は思った。

自分で言うのもなんだが、子どもの頃、私は本当にお気楽な性格をしていた。一人娘で、私立の学校に入れてもらい、親からの愛情をたっぷり注がれて育った。決して裕福な家庭ではなかったし、親は休みなく毎日働き続けていたけれど、それでも忙しい中で私に並々ならぬ愛情を注いでくれた。私を守り、大切に育ててくれた。だからこそ、私はいつも自由に生きていくことができた。自分はこれがやりたいと、自由に妄想し、発言する環境があった。

親としては、苦労しないように安定した仕事に就き、安定した家庭を持ち、安定した暮らしをして幸せになってほしいと思っていたようだったが、私は自分の将来のことなど、さして真面目に考えていなかった。常にそのときそのときで、絵描きさんになりたい、漫画家になりたい、小説家になりたいと自由奔放に夢を、未来を語った。さすがに高校生にもなると、世の中の現実が見えてくるようになったので、夢見がちなことを言うのは控えるようになった。思春期を終え、自分が大人として働く姿が徐々に見えるようになってくるに従い、一緒にいた仲間たちも現実を見始めるようになったからだ。

「女優になりたい」「歌手になりたい」と澄んだ瞳で言っていたクラスの中心的なキラキラ女子たちは、いつしか「大きな会社のOLになりたい」「公務員と結婚したい」とよりリアルな「女の幸せ」について語るようになり、「作家になりたい」「アーティストになりたい」と言っていた個性的な子たちは、「先生になりたい」「大きな会社に入ってバリバリ働きたい」と真剣な顔をして言った。そんなものだ、と私は思った。そんなものなのだ。私たちの、まして思春期の少女たちの「夢」なんて。

周りのみんながアイドルになりたいと言ったら自分もアイドルになりたいし、周りのみんなが商社の一般職の面接を受け出したら、自分も受けないと不安なのだ。大きな夢を本気で叶えたいと思っている人間なんて、いないようなものだ。私立の女子校に通っていた私たちは、有名な大学に入り、一度入ったら一生安定が約束されている企業に就職し、大学か会社の品の良いコミュニティで出会った優秀な男性と結婚して家庭を持つのが、何よりの幸せだと信じて疑わなかった。

もちろん私もそうだった。優秀な学生たちが集まるコミュニティの中で教養あふれる会話をして刺激を受けたり、海外に行って語学力をアップさせ、グローバル人材として社会に貢献したり、同じような高い志を持つ努力家の男性と恋愛結婚したりすることを夢見て、そんな人生が待っていると信じて、大学受験をした。

無事に大学に合格し、高校を卒業する頃、私は将来への希望に満ち溢れていた。お気楽でおめでたい私は、自分が優秀な頭脳を持つ素晴らしい人材であると信じて疑わなかった。親が私に注いでくれていた愛情をそっくりそのまま、社会に求めていた。家族が今まで与えてくれていた居場所が、社会にも存在すると信じて疑わなかった。だから、私はバリバリ朝から晩まで働き、世界中の人と話をし、取引をし、大きな功績を会社にもたらすキャリアウーマンになるのだと思っていた。社会に出れば、苦労もするし血の滲むような努力もしなければならないだろう。けれども、この私ならきっと乗り越えられる。大丈夫。何も成し遂げていないのに、いや、成し遂げていないからこそ、私は自分の実力を無邪気に信じられていたのかもしれない。

まあ、言うまでもないことだが、社会はそれほど甘くない。大学に入り、就活をし、社会に出て働くという一連のステップを通して、私はその事実にやっと気がつき始めた。あ、これ、もしかして、大人って、お金を稼ぐって、辛いことなのかもしれない。「バリバリ働きまくってお金を稼ぎたい」とあれほど豪語していたはずなのに、「もう嫌」「無理」「働きたくない」の三フレーズを繰り返すようになった。

マジで無理。本当に無理。辛すぎ。やだ。辞めたい。ネガティブなワードばかり発散し、追い詰められ、最終的にはもう諦める! ニートになる! ダメ人間になる! とまで考えたところで、「いや、でも働くのやめたら、何するの? することなくない?」「ここで諦めたら何も手に入らないよね?」「……やっぱり私、働くの好きかも」という着地点にたどり着き、結局は快適なライフスタイルよりも、仕事に全力投球の人生を選んでしまうのだった。

そしてそうやってがむしゃらに生きているうちに、気がつけば、私は二十五歳になっていた。

今の自分の状況は、どうだろう。結局望んでいたライフスタイルは一つも手に入らず、その場その場で直感がおもむく方を選んで、気がついたらこんなところまで来てしまっていた。

こんなはずじゃなかった。

こんな風に生きていく予定じゃなかった。もっとキラキラして、もっと女子力高くて、もっと性格良くて、もっと……。なんていうか、こう、親に堂々と見せられるような、そんな人生の、はずだった。親に安心してもらえるような、親が胸を張って「私の娘は川代紗生だ」と言えるような、そんな……かっこいい、恥ずかしくない、人生。

それを見せられる大人になりたいと思っていた。なるはずだった。それこそが、お金がない中、必死で私を育ててくれた親に対する恩返しだと思った。なのに、どうだ。今の私ときたら、頭の回転も遅けりゃ、行動にうつすのにも時間がかかるし。気も回らないし、どんくさいし、迷惑かけてばっかりだし、誰の役にも立てていないし……おまけに、バツイチで。

もう、何もしなくてもため息が出てくる。どうしたらいいんだろう、これから。周りから見てかっこいい部分なんて、何一つ存在していない。今流行りの「ていねいな暮らし」的なことも何一つできていないし、東京に戻ってきてからというもの、ほとんど池袋から出ていないし、毎日職場と家の往復。本当は銀座や代官山や表参道などのおしゃれパワースポットに遊びに行って、おしゃれエネルギーと女子力を吸収して、キラキラ輝きたいのに。