「正しい人生マニュアル」が存在するのなら楽だったのかもしれない

なら、どんな人生なら満足できるんだ?

たとえば、私がグローバルに働く外資系OLになったとしても、コンサルタントになったとしても、広告会社に入ったとしても、主婦になったとしても、私は満足しなかっただろうし、「正しい人生」だとは思わなかっただろう。

どうして私はこんなにもひたすらに、「正しい人生」について、悩んでしまっているのだろうか。

あるいは、「正しい人生マニュアル」なんてものがこの世に存在するのなら、楽だったのかもしれない。

こんな風に生きて、こんなライフスタイルを送り、こんな仕事をして、こんな人と結婚すれば、みんなから「いいね!」と言ってもらえますよと、これくらいなら八十点ですよ、とか、これくらいなら百点ですよ、とか、そんなマニュアルがありさえすれば、こんな風に迷うことなんかなかったのかもしれない。

たとえば、私が品の良い女子大に入って、小さなメーカーの受付をやって、そこで出会った、口数は少ないけれども誠実な男性と結婚して、寿退社をして、二十八歳くらいで子どもを産んで、感じの良いお母さんになるような人生を送っていれば、それは「正しい人生」だったのだろうか。

たとえば、バリバリ働く商社の総合職OLになって、ガッツリ毎日営業をして、会社で成績トップになっていたとしたら、それは「間違ってない」人生だったのだろうか。

いや、きっとそういうことじゃないだろうと思う。

たとえば、私がグローバルに働く外資系OLになったとしても、コンサルタントになったとしても、広告会社に入ったとしても、主婦になったとしても、私は満足しなかっただろうし、「正しい人生」だとは思わなかっただろう。

ツイッターやフェイスブックやインスタグラムなどのSNSを見ていると、ありとあらゆるライフスタイルが溢れている。いつでも、すぐに誰かの人生をのぞき見できる環境が、出来上がっている。今、誰が何をしているのか、誰がどんなことを考えているのか、指先でなぞればすぐに調べることができる。一度話したことがあるだけの相手がいつ高校に入学し、いつアメリカに留学し、いつ結婚し、いつ子どもを産み、今はどんなことについて悩んでいて、どこに住んでいて、これからどんな仕事をしようとしているのかが、すぐに、わかる。知ることができる。

今の世の中はきっと、比べられる対象が多すぎるのだと思う。自分よりもあの人のほうがお金ありそう、自分よりもあの人のほうが美人、自分よりもあの人のほうが料理上手、あ、でも、自分のほうがあの人より多趣味だし、仕事も頑張ってるし……。あるいは、私はそんな日々に疲れてきてしまっているのかもしれない。情報が溢れるこの社会で、自分が自分として生きていっても良いのか、自信がなくなってきてしまったのかもしれない。私はこれから、川代紗生として人生を歩んでいっても、大丈夫なのかがわからなくて、不安になってきてしまったのかもしれなかった。

すぐそばを見ると、色々な人の、色々な人生が目の前を通り過ぎていく。みんなそれぞれに、自分だけの色を持って、人生を歩んでいるように見える。私なんかよりも、ずっと個性的で、綺麗な色を持っている。

SNSを見ていると、友人たちや、知り合いの情報が常に入ってきて、それぞれがそれぞれの色を発信していて、羨ましいなと純粋に、思う。情熱的な赤や、深いブルーや、くすんだ緑や、茶色、紫、白、ピンク、ベージュ。その人らしい色を、自分で生み出して、自分で作ることができているように見える。

でも、私は、どうだ。

私は、ちゃんと、「川代紗生」の色を、作ることができているのだろうか。

私は、あっちこっちの色々なパレットから色を盗んでくるにすぎなくて、結局誰かの真似っ子で、コピーにすぎないのではないかと、そう思うことが、よくある。

私は自分の内側から、私だけの色を生み出しているわけじゃなくて、そのときそのときで、憧れる人の色に少しでも近づけるように一生懸命、何度も何度もパレットに絵の具を重ねているだけで、結局ぐちゃぐちゃの、真っ黒な汚い色になってしまっているんじゃないか、とか。

綺麗で純粋な、淀みなく輝く赤になりたいのに、それを真似しても結局、中途半端な朱色や、赤黒い気味の悪い色にしかなっていないんじゃないかとか、そんな風に、不安だった。

自分だけの色を生み出せない私は、ダメなやつなんじゃないかと、この世に生きてる意味なんかないんじゃないかと、そうやって、日々、怖くて不安で仕方がなくて……。