未来に自分に贈る言葉
少し前まで、承認欲求なんかない方がいいもんだと思い込んでいた。
きっと、こいつさえいなくなれば、私は幸せになれるんだろうと、思い込んでいた。
こいつこそが、私が幸せになれないことの根本的な問題で、こいつをなくすことができれば、私の人生は全部楽しくなるんだろうと思い込んでいた。
でも、大人になって、「承認欲求について考えない」期間があって、そして、一つの結論にたどり着いた。
承認欲求がなくなれば、全部がうまくいくわけじゃない。
こいつさえいなくなれば、私が幸せになれるなんて、そんな保証はどこにもない。
結局、私がしなければならないことは、承認欲求をなくす方法を見つけることでも、なくすための努力でも、考えないようにすることでもなく、ただ、今自分の中にある感情を大切にすることだったのだ。
たとえば、承認欲求がなくなって、人の目を気にしなくなったとしても、私が自分のやりたいことをなんでもできるようになる確証もなければ、絶対に自分の目標に向かって努力ができるようになるわけでもない。
結果は、わからない。
未来は、わからない。
だから、承認欲求をなくす努力なんて、他の誰かにとっては有効だったとしても、私にとっては、無駄だったのだ。
だって、いくら努力したところで、なくなる保証もなければ、なくなって幸せになれる保証もないからだ。
そんなこともわからず、私はずっと、純粋に「承認欲求さえなくなれば絶対に未来永劫の幸せが訪れる」と信じていた。
「幸せ」とは、人によって、違う形をしていて、私がすべきだったのは、承認欲求をなくす努力をすることじゃなくて、私にとっての「幸せ」とは何なのかを考えることだった。
そういうことだ。
私にとっては。
私にとっては、単純に、ただ、承認欲求があった方が幸せだ、と。
その方が、面白い人生になる、と。
そういう結論だった。
それだけだった。
この事実に、どうして今まで気がつかなかったんだろう。
どうしてずっと、目を逸らし続けていたんだろう。
いや、でも、この歳で気がつけたんだから、ラッキーだと思うべきかもしれない、と私は思った。
「承認欲求をなくしたいんだよ、こんな自分嫌なんだよ」
私は、自分が立派な「大人」になったときのことを想像する。
私にはわりと大きな子どもがいて、自分のことで悩んでいて、まさに、自分の感情と闘っているところだ。
自分が今どうすればいいのか、どうしてこれほど人の目を気にしてしまうのか、悩んでいる。苦しんでいる。そういう「若者」が目の前に現れたとき、私はどう答えるべきだろう。どんな言葉がベストなんだろう。
「なくさなくていいよ」と言うだろうか。
「なくすことなんかできない」と、現実を正直に言うだろうか。
それとも、あの頃の大人のように、「承認欲求があるやつなんかバカだ」と、「嫌な大人」になりきるだろうか。
いや、どれもなんだか、しっくりこないな。
何て言うだろう。
何て言えば、一番伝わるだろう。
私は、自分で答えを見つける前に、何て言ってほしかったんだろう。
どう言ってもらえれば、一番、安心できたんだろう。
そしてしばらく考えて、ああ、きっと、こう答えるだろうな、と私は思う。
「その感情を、大事にすればいい」と。
「『承認欲求をなくしたい』と、強く強く思っている、今の感情を。自分への嫌悪感とか、悩みとか、苦しい気持ちとか、そういうのを全部、大切にすればいい」、と。
きっと、そう強く強く、思えるのは、今だけだから。
自分のことで悩めるのは、今だけなんだから。
恥ずかしい思いをしたり、自分のことを嫌いになったり、焦ったり、怒ったり、イライラしたりできるのは、今しかないんだ。
自分の心が強く震えるのを実感できるのは、今だけなんだ。
きっと大人になればなるほど、年をとればとるほど、その感情の揺れが起こることは、なくなっていくんだ。
感動したり、泣いたり、衝撃を受けたりできるのは、今だけなんだ。
そういう、「承認欲求をなくしたい」という苦しい気持ちが、どんどん薄れていったり、そもそもそういうことについて考えなくなったりすることは、大人になるうえで必要なことであるのと同時に、とても、怖いことなんだ。
私は今、そうして、感情がいなくなっていきそうなのを実感していて、とても、怖いと思っているんだ。今はむしろ必死で、承認欲求にしがみついているくらいなんだ。
だから。
「精一杯、自分のことを考えろ」と、私は言うだろう。
「自分のことだけを考えろ」と、「大人になれば自然と、周りのことを考えられるようになるから」と。
そんな風に言える日はいつか、訪れるのだろうか。
子どもに対して、そんな風に、私が言ってほしかったことを言えるほど、私はかっこいい大人になっていられるだろうか。第一、大人になった私は、今の私が思っていることに、賛同してくれるだろうか。
そもそも、この言葉で、きちんと伝わるのだろうか。
わからない。わからないけど、忘れたくない。
記憶力が悪いから、そういういつかの日のために、私は書く。ここに、残しておく。
タイムカプセルを埋めるような気持ちで、いつか大人になった私が迷ったときに、ここに立ち戻ってこられるように。
きっと、私は大人になっても、悩んだり、苦しんだり、怒ったり、焦ったりしているだろうから。
その頃の私が、きちんと安心して前を向けるように、私はこの言葉を、未来の自分に贈る。
1992年、東京都生まれ。早稲田大学国際教養学部卒。
2014年からWEB天狼院書店で書き始めたブログ「川代ノート」が人気を得る。
「福岡天狼院」店長時代にレシピを考案したカフェメニュー「元彼が好きだったバターチキンカレー」がヒットし、天狼院書店の看板メニューに。
メニュー告知用に書いた記事がバズを起こし、2021年2月、テレビ朝日系『激レアさんを連れてきた。』に取り上げられた。
現在はフリーランスライターとしても活動中。
『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)がデビュー作。