SNSが誕生した時期に思春期を迎え、SNSの隆盛とともに青春時代を過ごし、そして就職して大人になった、いわゆる「ゆとり世代」。彼らにとって、ネット上で誰かから常に見られている、常に評価されているということは「常識」である。それ故、この世代にとって、「承認欲求」というのは極めて厄介な大問題であるという。それは日本だけの現象ではない。海外でもやはり、フェイスブックやインスタグラムで飾った自分を表現することに明け暮れ、そのプレッシャーから病んでしまっている若者が増殖しているという。初の著書である『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)で承認欲求との8年に及ぶ闘いを描いた川代紗生さんもその一人だ。「承認欲求」とは果たして何なのか? 現代社会に蠢く新たな病について考察する(本編は書籍には収録されなかった番外編です)。

ほとんどの人間は、自分の意思よりも他人の評価を尊重するPhoto: Adobe Stock

承認欲求に気付いていないがゆえの無意識的な「言い訳」

 いや、待てよ。あるいはほとんどの人間は、自分の意思よりも他人の評価を尊重したくなってしまうものなのかもしれない。よっぽど強い意思と、よっぽど強い自分なりの哲学を持っていない限り。

 そんな違和感を抱くようになったのは、就職活動のときだったでしょうか。

 大学ではいわゆる「大企業病」と呼ばれる就活生が、他人より少しでも「認められる」企業に就職しようと、悪戦苦闘していました。

 就活生に人気の企業ランキング上位に食い込んでいる会社。

 日本の代表企業で、歴史があり、親にも安心してもらえるネームバリューのある会社。

 まわりの就活生から尊敬のまなざしで見られる、少数精鋭の外資系企業。

 最近勢いがあり、新入社員のうちから多くの仕事を任せてもらえるベンチャー企業。

「就職難易度」「ネームバリュー」「社会貢献度」などものさしは色々あるけれど、周りから「すごい」と認めてもらえる会社かどうか、ということは意識的にせよ、無意識的にせよ、「大企業病」就活生たちの会社選びにおける重要な要素であることは間違いありません。

 もちろん社会的に認められやすい会社を目指す学生すべてが「すごい」と言われたいと思っているわけではありませんし、「せっかくなら大きな会社に就職してより多くの人の役に立って社会貢献をしたい」「安定したお給料がほしい」「将来のために経験を積みたい」などの目的で入社する人も大勢いるでしょう。

 けれど案外、そういった意識というのは承認欲求に気付いていないがゆえの、無意識的な「言い訳」である場合もあるのです。

 この「承認欲求」というのは、他者や社会からの承認を求める「他者承認欲求」と、自分で自分を認めたい、自分が追い求める理想像に近づき、自分が自分に満足したいという「自己承認欲求」の二つのタイプがあります。

 この二つは複雑に絡み合っていて、単純に分けられるものでもありません。

「他人から認められたい」:これはリアルな自分の周りの人間、家族、友人、同僚、上司。誰でもです。他人からすごいと思われたい、尊敬されたい、褒められたい、など、「他人からどう見られているか」ということに固執してしまう人は、とにかく競争心が強い。

誰よりも尊敬されたい

誰よりも自分は上だと認識されたい

何においても一番がいい

 こんな感じ。

 だから何に関しても人に張り合ってしまうし、いくら仲の良い友人であっても相手を見下した態度をとってしまうのです、無意識に。

 誰かがバイトを頑張った話をすれば、いや自分の方が稼いでるしと対抗し、誰かが旅行にたくさん行った話をすれば、いや自分の方が珍しい国に行って貴重な経験をしたと主張し、誰かが本が好きでよく読むんだーという話をすれば、いや自分だってその本は全部読んでいると上から目線でコメントする。

 とにかく自分という存在が「特別」じゃないと気が済まないんですね。ユニークで、誰とも違う個性があって、「あなたがいてくれないと駄目」と、みんなに必要とされるムードメーカーあるいは人気者でなければいけない、という不安感。

 そしてこういう人間は、自己承認においても面倒な仕組みに追い込まれてしまっている。

「理想の自分像」と「現実の自分」のギャップが、あまりに大きいのです。

 つまり、「理想が高すぎて本当の自分が認められないジレンマ」が発生するケースがあるのです。「みんなから愛されたい」という欲求が強いばかりに、「理想の自分像」を高く設定しすぎてしまう。

 とはいえ、現実の自分のことをきちんと理解できていれば、単純にそのギャップに苦しむだけですから、大した問題ではありません。でもこれは、「自分に承認欲求があることをきちんと認められている場合」にのみ当てはまるケースです。

 それよりもずっとタチが悪いのは、なんといっても「自分に承認欲求があることすら認められない」とき。あまりにプライドが高すぎて「他者から認めてほしいという感情を持つ自分自身」を受け入れられないのです。自分は完璧な人間で人格者であると思わなければ気が済まないので、本当の自分を真正面から見つめることが出来ない。だから「理想の自分像」が「本当の自分」だと勘違いしてしまうのです。