記憶しても、意味を考えない日本の教育
福原 日本では、子どもたちが、価値観が何十年も変われていない先生方に、学ばないといけないわけですものね。
出井 それこそ日本は記号の国なんです。試験も記号しか出ない。だから、みんな記号を記憶する。鎌倉幕府ができた年なら、イイクニ、で1192年。
福原 いい国作ろう鎌倉幕府、ですね。
出井 そんなふうに覚えるわけですね。記号として。ところが、1192年に幕府ができたことは覚えても、鎌倉幕府が何だったか、ということはまったく考えないんです。試験にも出ない。いい国作ろう鎌倉幕府、1192年、だけ覚えている。検索のキーワードだけ覚えているようなものなんですよ。中身なしで。
福原 おっしゃる通りですね。教育をする側も、それは同じですから。例えばグローバル教育をするにはどうすればいいか、教えてくださいと言われる。記号的に知りたいわけですね。自分で深掘りするのではなくて、グローバル教育はこれだ、みたいに一つの解を求めようとする。
出井 僕はある月刊誌で「対極を愉しむ」というテーマで6年くらい連載をしていたんですが、物事は違う面からも見ることで面白くなるわけです。ひとつの方向ではなく、対極のまったく逆からも眺めてみる。そうやって自分の答えを見つける。対極から自分の考えをまとめていくということは、本来ものすごく面白いことなんです。
ところが、日本ではそれがない。一方的に受け入れてしまうわけですね。それが、対極から見てみよう、そうすれば物事はまったく違って見えてくるよ、という連載テーマにつながったんです。
答えは1個しかないんじゃなくて、AからZまであるかもしれないわけです。それがわかった上で、自分でYという結論を出すのならいいけれど、最初からYしか見ていないし、それ以外を見ようとしない。そんな教育ではいけない。
福原 そしてその考え方は、ずっと子どもたちの中に続いてしまうわけですものね。私は今、大学で教えているんですが、ちょうど12月1日に就職活動が解禁になって、女子学生に囲まれたんです。みんなが聞いてきたのが、この質問です。「先生、どの会社に入ればいいですか」。
就職もひとつの答えがあると思い込んでいるんですね。「会社はたくさんあるから自分では選べない。いくつかピックアップしてくだされば、その中から考えます」と。しかも条件は、ラクチンで早く帰れて給料のいい会社。これを聞いたときに、日本は何を教育してきたんだろう、と思いました。何かの弊害があるようにしか、思えなかったんです。