春秋・戦国時代、孔子や墨子は
どう生きた?
文字資料で実在が確認できる中国最古の王朝は商(殷〈いん〉)です。
この商を滅ぼした王朝が周です。
それはBC1023年のことで、周の武王の時代でした。
武王は都を鎬京(こうけい)(現在の西安付近)に置きました。
周は商から、甲骨文字や青銅器の製作技術を引き継ぎましたが、周の時代には後世に「商周革命」と呼ばれるほどの大きな変革が起こりました。
たとえば、商は祭政一致の国で、自分たちの祖先と神を「帝」と呼び、同一視していましたが、周は神を「天」と呼び、自分たちの祖先とは区別しました。
また、周では祭政分離がなされました。
さらに周は、一族を中心とする封建制と呼ばれる新たな支配体制をつくりあげました。語順も変化しました。
修飾語が被修飾語の前に立つようになり、商では帝辛(ていしん)と呼ばれた君主は、周では文王や武王と呼ばれるようになったのです。
当時の中国には都市国家のような邑(ゆう)と呼ばれる集落が、黄河の中・下流域に200~300近く存在しました。
商はこれらの邑の上に君臨していた王国でした。
商を倒した周は、周の一族に服従した邑を領地として分け与えました。
そして世襲させてその邑の統治を任せたのです。
中国全土に誕生したこれらの血縁関係を基本とする支配者を諸侯(しょこう)と呼び、その与えられた土地(邑)を封土(ほうど)と呼びました。