「高圧的な男」と「従う女」

けれども問題は、それだけではなかった。機内でも男は、おとなしくなかったのだ。

通路をはさんで反対側にいる、家族と思われる女とあれこれ話をしている。

仕草からして、女に、偉そうに何かを語っているような印象を受けた。

言うまでもないことだが、私は、男の方がえらく、女は男に従うべきだと心の底から信じているような人は苦手だ。だから、たとえば冠婚葬祭のときなんかに、親戚同士のなかではっきりとした序列があるのを見るのも、あまり好きではない。自分自身も、「女はこうあるべき」などというステレオタイプにあてはめられることに、なんとなくモヤモヤしてしまう。

だから、空の上という逃げられない空間の中で、「高圧的な男」と「従う女」の関係性をしばらく見続けていなければならないのは、結構苦痛だった。

いやだなあ、と思いつつもなるべく見ないように、聞かないようにと、イヤホンを耳に差し込んだ。

「お飲み物はいかがですか?」

離陸してからしばらくすると、CAさんが機内サービスの飲み物を運んできた。

いくつかあるメニューの中で、お茶を選択する。

窓の外を見ると、もう暗くなってきていた。

「……え」

ふと何気なく前を見ると、筋肉質の腕が宙に伸びていた。男の手は、コーヒーのカップを持っている。

けれども、見れば、通路をはさんで隣の女が、コーヒーに砂糖とミルクを入れて混ぜているのである。

え、この人、わざわざ砂糖とミルク、自分の奥さんにいれさせてるの?

心の中で、小さな悲鳴をあげた。うわあ、やっぱりこういうタイプの人なんだ。

これまでの人生の中で、些細なことでも「わざわざ」自分の妻に、彼女に、部下の女にやらせていた男たちの顔が、私の脳裏に浮かんだ。

たとえば、お酌させる、とか。

とりわけさせる、とか。

めちゃくちゃ近くに醤油があるのに、自分は動かないで取りに行かせる、とか。

まるで当然のように、「女は男のために動くもの」という常識のなかで生きている人々を、色々な場面で見てきた。

私はそれが嫌だった。

「女なのに」とか「女のくせに」とか、そういう枕詞つきで評価されたくなかった。女とか男とかの基準関係なく、ただの「人間」として判断してほしかった。

今はそういう傾向も薄くなってきているように思うけれど、ただ、いまだに男尊女卑の価値観が根強く残っているのも事実だ。

周りのことを考えず、後ろの人が嫌がるかも、とかも考えず、平気でシートを倒す人。そして、自分の妻に「やらせる」ことに、何の違和感も抱いていない人。

きっと私はこれから先も、こんな風に高圧的な態度をとる人に会い続けるだろう。

苦しめられ続けるだろう。

けれども、私自身は決して人のことを貶めるようなことはしないし、そして、誰が「えらい」とか「えらくない」とか、そういう価値判断で物事を見る社会は、おかしいのだと感じる心を失わないようにしようと、心に決めた。

まさか、飛行機の中で価値観を問われることになるとは思わなかった。

まもなく仙台に着こうとしている、飛行機の中での出来事だった。

……ところが、じつは、話はここでは終わらない。