SNSが誕生した時期に思春期を迎え、SNSの隆盛とともに青春時代を過ごし、そして就職して大人になった、いわゆる「ゆとり世代」。彼らにとって、ネット上で誰かから常に見られている、常に評価されているということは「常識」である。それゆえこの世代にとって、「承認欲求」というのは極めて厄介な大問題であるという。それは日本だけの現象ではない。海外でもやはり、フェイスブックやインスタグラムで飾った自分を表現することに明け暮れ、そのプレッシャーから病んでしまっている若者が増殖しているという。初の著書である『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)で承認欲求との8年に及ぶ闘いを描いた川代紗生さんもその一人だ。当連載では、「承認欲求」という現代社会に蠢く新たな病について様々な角度から考察する(本編は書籍には含まれていない番外編です)。

飛行機の前の席に座ったのは、許可なく思い切りシートを下げる男だったPhoto: Adobe Stock

うしろの席の人に何も言わずにシートを倒すタイプの人間

前の席に座ったのは、私の許可なく思い切りシートを下げる男だった。

札幌から仙台に向かう飛行機。15:05発、通路側。ずしり、と前の席がゆがむ。格闘家か何かを思わせるほど大柄な中年男性で、首が太く、後頭部と首の間に一本、分厚い肉の段ができていた。身体は通路からはみ出し、苦しそうだった。

前の席の男の、通路をはさんで右隣には彼の妻と思われる女が乗っていた。男は、女に通路をはさんでしきりにちょっかいをかけているように見えた。

ついてないな、と私は思った。あと1時間強。こういう人の席の後ろになると、あまり快適には過ごせない。

ぎゅっと窮屈になった飛行機の中で、小さくため息をついた。

コロナ禍になる少し前のことである。

当時、私は仕事で全国各地に出張していた。広島から始まり、北九州、広島、札幌、仙台、一度東京に戻り、その後、名古屋、大阪、京都と各地を回っていた。

12月下旬、私は上司とともに、北海道は札幌にいた。

札幌で朝から晩までアポがあり、さらに翌日も朝から予定が詰まっていた。全ての打ち合わせを終え、大急ぎで札幌駅へ。

エアポート号の指定席を取り、出発するまでの30分で、大急ぎで昼食を取り、休む間も無く空港に着いて、手荷物を預けて、ちょっとコーヒーを飲んで、トイレに行って、あっという間に搭乗時間が来て、仙台空港行きの飛行機に乗り込んだ。

ああ、でも明日にはまた仙台でイベントがある。とにかく時間がない。飛行機の中で溜まっている仕事を少しでも片付けておかなくちゃ、と思って、パソコンを開き、収納式のテーブルの上に置いた。

ひとこと、言い訳をさせてもらうなら。

疲れていたのだ。かなり、いや、めちゃくちゃ疲れていた。

移動の中で仕事をし、普段は会えない全国各地のお客様とお話しできるのはとても楽しかったけれども、とはいえ、精神的に満たされているのと、肉体的に疲れているのは、別の問題である。

だから、飛行機に乗りこみ離陸し北海道から本州へ向かう空へと飛び立ち、さあ少しでも仕事を進めないとと一息ついたとき、心底がっかりした。

ぐい、と下がってきたのだ。前の席が。

え、とか思うまもなく、心の準備もなく、突然そのシートは下がってきた。マックスまで下がってきた。もはや作業どころではない窮屈さである。

ちらりと前を見ると、スポーツ刈りの頭皮が目についた。

髪型のせいなのか、後ろから見ると、頭の形がまるわかりである。

ああ、ついてないな、と思った。

「うしろの席の人に何も言わずにシートを倒すタイプの人間」か、と。

いや、別にリクライニングすること自体は問題ない。元々サービスとして設置されているんだし、大柄な人だったから、シートを下げないと苦しいのかもしれなかった。

普段なら、「まあそういう人もいるよね」くらいで済ませられただろうと思う。でも、疲れ切った体と、擦り切れた脳みそとパンパンに詰め込まれたスケジュールで、私の器は信じられないくらいに小さくなっていた。

ひとことでも、言ってくれればいいのに。

イライラしたくはないのに、どうしてもそんな言葉が溢れてきてしまう。

一緒に搭乗していた隣の席の上司には気がつかれないように、はあ、とため息をついた。

作業をするのは諦めた方が良さそうだった。私は大人しく目をつぶって、眠ってやり過ごすことにした。