今日本では、様々なところで「敵」という言葉が使われていますが、教育の場においては、こうした1つひとつの表現に対して敏感になったほうがいいと思います。また、「リスペクト」もしっかり使い分けたいです。一般的に尊敬の意味で使われるかと思いますが、尊敬と尊重では随分と違います。

 尊敬は上下の関係性を含む概念。下から上に向けた一方向のベクトルになります。スポーツにおいては、互いに対等関係であるべきことから「尊重」として解釈すべきだと思います。この場合、地面と水平かつ双方向のベクトルということになります。

 私は普段、大学教員として務めていますが、学生たちに対して尊重したい想いをしっかり伝えます。実際に教壇に立っていると、学生から学ぶべきものが多いことに気づく。生徒の上に立って指導する教育像は私の中になく、彼らの横に並んで、彼らが見えていないところに光を当てているのが私の役割。彼らにも、気づいたことは言ってもらうようにしています。共に育つ、「共育」でありたいと思っていますから。スポーツを教育するときにも、この「共育」が当てはまると思っています。

スポーツで養う自制心や自立心
子どもが“真剣に遊ぶ”ことで得られる能力

 知識の詰め込み式ではなく、自身の持つ表現力をどのように主体的に発揮するかなど、数値化できないような能力を育む必要性が問われているように、今文科省を中心に日本の教育にも変化がもたらされつつあります。教育の現場では、「非認知能力」「社会情動性能力」といったキーワードが使われます。モチベーションや主体的に関わる力、巻き込み力など、まさに数値化しにくいものなのですが、これらの力はどこで身に付けられるでしょう。

 とある研究結果では、子どもの頃の遊びの中で身に付けることができると指摘されています。なので、教育の中にどうやって遊びの要素を取り入れるか、工夫が始まっています。クイズ方式を活用したり、学生同士が教え合う反転授業のような方式で講義を実施したりすることで、主体的に参加できるようにします。