東レの背信#6Photo by Kazutoshi Sumitomo

東レの日覺昭廣社長は、2015年の「週刊ダイヤモンド」のインタビューで執行役員制を否定し、現場主義の重要性について力説していた。時流に迎合しない東レの経営は、なぜ不正を断ち切ることができなかったのか。特集『東レの背信』(全6回)の#6で当時の発言を検証する。

「週刊ダイヤモンド」2015年8月22日号特集「東レ 旧態依然の凄み」を基に再編集。肩書や数値など情報は雑誌掲載時のもの。

執行役員制は金融資本主義の考え方
「僕は意味のないことはしない」

――最近は経営と業務執行の役割を分けて執行役員制を取っている会社が多くなりました。東レは何で業務を執行する執行役員を置いていないんですか?

 ああいう体制は米国型の金融資本主義の考え方。それはそれで正しいんですよね。投資家の代表が取締役であって、彼らが財務諸表を基に、投資家がもうけられるように会社を切り盛りするという。

 僕はそれが別に悪いとは思ってない。ただ、日本はそういう社会じゃない。われわれは、「企業は社会の公器」という考え方を持っているというか。特に大企業の場合は、もちろん株主もそうなんですけど、従業員や地域社会のために存在があるわけで。

 そういう社会的責任っていうことを考えると、例えば業績が悪くなったら従業員を首にするんじゃなくって自分の給料を下げるとか、みんなで努力していくとか、そういう考え方になりますよね。だから今、はやりの執行役員制を敷く金融資本主義の考え方とはちょっと合わない。

 むしろ、風土として合わないのに、日本の企業がどうして執行役員制を取り入れてるのかなって……稲の田んぼに麦を植えてるみたいなことになってる。

 結局、日本人はすごい器用だから、世の中の流れに沿っていないと世間がうるさいからと、いわゆる「大人の対応」をしてるってだけなんじゃないか。逆に、うちも大人の対応をしてもいいんじゃないかといわれるんだけど、僕は意味のないことはしない。

――ただ、執行役員制を取っていれば、取締役が執行役員の執行をチェックすることができます。今回、東芝の不適切会計問題が表面化しましたが、執行役員制を取っていない東レには、こうした良からぬことが起きているときのチェック機能がないということになりませんか?