東レの背信#4Photo:Bloomberg/gettyimages

東レ中興の祖、前田勝之助氏から後継指名を受けた榊原定征元社長と、日覺昭廣社長の「不仲」は財界の余話だ。榊原氏を追い出した後の東レで進む、研究開発力の低下。ライフサイエンス事業で行われる「利益操作」とは何か。特集『東レの背信』(全6回)の#4で全容を解明する。(フリーライター 村上 力)

榊原氏は「冷遇されている」?
経団連会員企業の東レへの視線

 東レ「中興の祖」といわれる前田勝之助氏は1987年、常務から「14人抜き」の大出世で社長に抜擢されて東レを立て直し、97年に「権腐十年」(権力は10年で腐敗する)の信念に従い、会長に退任した。

 だがその後、東レの経営は再び悪化。社内外からの熱望を受けて2002年にCEO(最高経営責任者)に復帰し、1期2年、後継の榊原定征氏と共に黒字化を達成した後に名誉会長に退いた。

 10年6月に社長に就任した日覺昭廣氏も、前田氏に後継指名されたという。榊原氏も日覺氏も、前田氏からすれば、兄弟のような存在ではないか。

 ところが、榊原氏と日覺氏が不仲だという。

 榊原氏は10年に東レの経営を日覺氏にバトンタッチし、会長に退いた。14年からは日本経済団体連合会の会長として財界活動に専念している。通常、経団連会長の出身母体企業は、財界活動を支えるため、それなりの人員を秘書などの形で出す。

 だが、東レの関係者は「日覺社長は、榊原さんにほんの数人の秘書しか付けなかった。ほかの経団連会員企業からは『榊原さんは東レから冷遇されている』とみられている」と明かす。

 実際、経団連会長となった榊原氏は徐々に東レから距離を置かれている。15年に東レの相談役最高顧問となり、17年に相談役、18年に特別顧問と、みるみる扱いが軽くなり、19年には特別顧問制度廃止に伴い、ついに完全に東レから切り離された。現在は関西電力の取締役会長に収まっている。

 日覺氏と榊原氏の間に何があったのか。前出の関係者は、日覺氏が常々口にする「現場主義」にヒントがあると言う。一体どういうことか。