タナハに隠された秘密

 ところで、タナハは創世記から歴史的な流れに沿って順序正しく構成されています。

 しかし、実は創世記を含むモーゼ五書が、最後に書かれたのです。

 すなわち最も古い物語が一番新しい部分なのです。

 皆さんが一族の物語を書こうとしたら、多くの場合、自分の父母の話から書き始めると思います。

 記憶している部分が多いですからね。

 続いて祖父母そして曾祖父母と、時間をさかのぼりながら書き継いでいく。

 それが一般的です。

 でも、祖父母のあたりからだんだんわからなくなる。記録が少ないからです。

 すると、どうなるか。

 どうしても昔の話を書く必要があったら、おそらく創作すると思います。

 でも、人間の創造力はそれほど豊かではないので、たいていの場合は古の物語からモチーフを借用してくることになります。

 日本書紀でも、最後に神武天皇を創作しています。

 旧約聖書、タナハにも多くの捏造があります。

 その捏造のネタの多くは、バビロンに囚われているときに伝聞した古代メソポタミアの伝承から採られました。

 アダムが土くれからつくられた話はシュメールの神話、ノアの方舟(はこぶね)はメソポタミアの大洪水、エデンの園のエデンは、メソポタミアの地名です。

 そして最後の審判という直線の時間の観念は、ゾロアスター教から拝借しました。

 さらに、モーゼは葦の葉を編んだ小舟でナイル川に流されますが、この話は太古の昔にメソポタミアを初めて統一したアッカドのサルゴン大王が川に流された話をそのまま借用しています。

 古い部分ほど伝承とは関係なく一番新しく創作されているという、その典型となるタナハですが、その創作動機はユダヤの民のアイデンティティをなくしたらあかんという切実な思いでした。

 その思いを帰郷しない同胞にアピールしたのですが、もう一つの目的も創作の動機になっていたと思います。

 世界帝国であったペルシャのアカイメネス朝に、自分たちユダヤ人も、立派な歴史を有する優秀な民族であると主張することです。

 わが国が大唐世界帝国に対峙する中で、自分たちも立派な民族なんだと主張するために『日本書(紀)』を創作したように。

 民族は存亡の危機を迎えると、アイデンティティを求めるのです。

 そして、たとえ捏造の部分があるにしても、文章として書いたものが残ることは、たいへんな力となります。