「ディアスポラ」「離散」「散在」
たとえば古代イスラエル王国はダヴィデとソロモン、親子2代の時代に、たいへんに栄えたという話が残されています。
シバの女王がソロモンを訪れて、彼との間に子どもが誕生し、エチオピア王室の祖先になったという伝承が残されていることは有名です。
ところでシバの女王の都がどこにあったかというと、アラビア半島の先端、アデンのあたりです。
乳香(にゅうこう)や没薬(もつやく)など火葬の際に使用された芳香剤の産地として有名でした。
当時の貴重品です。
シバの女王の都は当時、2万~3万人の人口があったと推定されています。
ところがダヴィデとソロモンの時代、考古学者の発掘調査によると、エルサレムの人口は1000人いるかいないかだったと考えられています。
考古学的に考えれば、人口3万人の都に住む女王が人口1000人の町にきて、その栄華に驚いた、という話になってしまうのです。
歴史学者の間では、ダヴィデとソロモンの実在自体を疑う見解が支配的です。
しかし、ずっとそのように信じられてきたのは、旧約聖書という立派な文章が、いかにも本当らしく書き残したおかげでした。
「バビロン捕囚」後、ユダヤ人がエルサレムへ帰らずに世界へ離散したことを、「ディアスポラ」と呼び、昔は悲劇的な民族の「離散」と訳されてきました。
しかし最近では、ユダヤ人は自分たちの意志でエルサレムに戻らず、世界の大都市へバラバラに散っていったので、「散在」と訳すのが一般的になっています。
ユダヤ教の聖書であるタナハが完成したのは、BC500年から紀元元年の間と考えられています。
『哲学と宗教全史』では、哲学者、宗教家が熱く生きた3000年を、出没年付きカラー人物相関図・系図で紹介しました。
僕は系図が大好きなので、「対立」「友人」などの人間関係マップも盛り込んでみたのでぜひご覧いただけたらと思います。
(本原稿は、13万部突破のロングセラー、出口治明著『哲学と宗教全史』からの抜粋です)