「まずは一生懸命走って、できるだけ近くで見ること。わかりやすく、簡潔に伝えられるようにジェスチャーと表情、あとは笛も含めて使えるものはなるべく使ってコミュニケーションを取れればと思っています」

 世界へ目を向ければ、フランス人のステファニー・フラパールさんという先駆者がいる。38歳のフラパールさんはフランス1部リーグに続いて、UEFAチャンピオンズリーグ、カタールワールドカップ出場がかかったヨーロッパ予選と男子選手がしのぎを削る大舞台で主審を務めた。

 年齢が近いフラパールさんが切り開いた新たな分野を、山下さんも歩んでいく先に見つめている。何事にも「初めて」と報じられる自身に課された役割を、山下さんは自然体でこう語った。

「今後はJリーグでの機会を続けていくこと、女性審判員が男性の試合を担当することが当たり前になっていくことが、私の目標とすべきところだと思っています。そのためにできることは目の前の試合に全力で取り組むことなので、それを意識して担当していきたい。その上であまり目を留められなかった方々に、審判員という存在を少しでも注目していただけたらうれしいですね」

ジェンダー平等で後れを取る日本サッカー界
山下さんがすそ野を広げ続ける

 サッカー界全体で事例が少ないがゆえに、今はまだ男子のトップレベルの試合で笛を吹く女性が注目される。ただ、例えばアメリカでは選手も共用できる託児所がスタジアム内に設けられるなど、審判員という仕事においてもジェンダー平等参画に対する意識が日本よりはるか先に進んでいる。

 審判という仕事に憧れる女性のすそ野を大きく広げ、その上で審判員資格を順次取得してステップアップしていく先で、周囲の理解を得ながら可能性が狭まらない社会を作り上げていく。

 日本サッカー界の課題には、Jリーグの審判員として生計を立てられる環境も含まれてくる。JFAが認定するプロフェッショナルレフェリーに名を連ねていない山下さんは、実は他に仕事を持っている。多忙を極める日々で、それでも毎日1時間から2時間のトレーニングを欠かさない。

「筋力トレーニングやアジリティーを鍛えるトレーニングは、自分を奮い立たせながらできます。ただ、インターバルトレーニングなど、息が上がるようなトレーニングは一人だときついので、なるべく仲間を見つけて一緒にやるようにしています」

 苦笑しながらこう語っていた山下さんは、Jリーグで笛を吹いた実績を「選択肢が増えたことは、とても意義のあることだと思っています」と、サッカー界全体にとってプラスになると歓迎していた。そして今、選択肢に日本国内のJ2やJ1を飛び越えてACLという舞台も加わった。

 注目された一戦を終えた後に、山下さんはJFAを通じてこんなコメントを発表した。

「ACLを日本人女性トリオで担当するという機会をいただけたこと、大変感謝いたします。このような機会が続いていくよう今後も一試合一試合、全力で向き合っていきます」

 ストレスを感じたときには気分転換としてゲームに興じるか、あるいは「陽気な声を出して」と照れながら明かした山下さんはこれからも気負わず、日本全国の審判員仲間がこれまでに積み上げてきた実績をリスペクトしながら、誰も前にいない道を全力で歩み続けていく。