パウロはコイネーで、イエスの教えを説いた
しかしそこにはイエスの弟ヤコブをはじめとする人々が、すでに活動していたのです。
彼らはイエスの教えを迫害したパウロを受け入れません。
やむをえずパウロは、アナトリア半島の西部(小アジア地方)やエーゲ海周辺部の都市に住むディアスポラのユダヤ人たちの間を巡回しながら、布教活動を続けました。
エーゲ海に面する地域は、ローマ帝国の領域です。
この地域ではユダヤ人も、ユダヤ教の礼拝堂(シナゴーク)以外では、コイネーを使って生活していました。
コイネーとは当時のギリシャ語のことで、ヘレニズムの時代には第3の国際語になっていました。
パウロはコイネーで、イエスの教えを説いたのです。
パウロがパレスティナから遠く離れたローマ帝国の辺境で、コイネーでイエスの教えを説いたことから、ユダヤ人居住者以外のエーゲ海周辺に住む人々にも、イエスの教えが知られるようになっていきました。