コロナ禍で試合が延期に
二人が直面した「現実との向き合い」
小林 半年間に及んだメンタルトレーニングのプロセスで、ウルヴェさんにとっても難しい局面というか、印象的な波乱のようなものはありましたか。
ウルヴェ 大きく2つありました。一つは、さっき話しましたが、試合の延期が決まったときです。
小林 目の前(12月)に迫っていた大勝負が消えてしまった。コロナ禍の状況が読めないから、次はいつになるかもはっきりしない。できないかもしれない。
ウルヴェ その時期は、メンタルトレーニングの要素の中でも「心身の健康維持としてのメンタルヘルス」の領域のセッションに時間を使わなければなりませんでした。そしてもう一つは、いよいよ4月9日に試合が決まって、現実にその日を迎える追い込みのときです。随行者として、私にも覚悟が必要な場合が幾度かありました。
試合直前の追い込みでは、トップアスリートの実力発揮における理論上、さまざまな選択肢がある中で、改めて先行研究を読み返したり、理論の考察をし直したりしました。時には、私自身のメンターである諸外国の心理学者とリモートミーティングをしてもらいました。「最後にどういう方向で追い込むことが適切か?」は熟慮しました。
小林 残り1カ月くらいは厳しかった?
ウルヴェ 最後の1カ月は、本当に苦しいトレーニングだったと思います。
小林 それはフィジカルのトレーニング?
ウルヴェ いえ、メンタルトレーニングです。村田さんが、「追い込んでください」と言ってくださいましたので、その言葉の重みを受け止めて対話しました。村田さんは、すごく思考体力のある方だと思います。誰だって、言語化したくない現実があります。コンプレックスだとか、見たくない自分の弱さだとか。番組の中で、おなかの中から何かを取り出すような動作をして苦笑いしていらしたシーンがあったと思います。
小林 腹の中の醜い思いやどうしようもない自分を言葉にする?
ウルヴェ すごく軽やかに自虐ができる方です。なぜ自分は“ビビる”のか、それすらも具体的に言語化できるからこそ対処行動を明確にできました。
小林 簡単なことではありませんね。
ウルヴェ トップアスリートでさえも、なかなかできない「現実との向き合い」という印象があります。誰でも、“ビビる”という感情からは逃げたいものです。できれば気付きたくない。気付かなければ対処しなくて済むのですから。だから、「たぶん、もうビビらないと思う」とか、曖昧にしておいたほうが楽なのです。ご本人が苦痛とお感じになることも伺わないといけません。
小林 そこは大事なところなのですね。
ウルヴェ 自分が“ビビる”と認めたら、最悪の場合の行動計画を作らなくちゃいけない。「何とかなるさ」という言い方は、ポジティブと受け取られがちですが、本当は逃げている。しっかりと「マイナス思考になる強さ」を持つことが前提なのです。社会に対しては明るく振る舞うチャンピオンもたくさんいますが、誰しも人間なのですから、その裏に「落ち込む、怒る、ビビる、焦る自分」がいるものです。その自分に気付き、心的準備した選手が結果を出します。
小林 まだ40歳前後の長嶋茂雄さんにインタビューしたとき、「どちらかと言えば、私はネガティブなほうじゃないですか」と言ったのを思い出します。世間ではポジティブ・シンキングだと言われるけれど、「悪い結果を全て想定して、どう対処するかを考えて勝負に臨んでいる」とはっきり言われました。
ウルヴェ そうだと思います。これまで関わった選手はみな、この本番直前での心的準備の時期はすごくつらそうにされます。でも最悪の想定はしておかないと、実際に試合になったら、対策がないことこそ一番つらいです。