猫はなぜ高いところから落ちても足から着地できるのか? 科学者は何百年も昔から、猫の宙返りに心惹かれ、物理、光学、数学、神経科学、ロボティクスなどのアプローチからその驚くべき謎を探究してきた。「ネコひねり問題」を解き明かすとともに、猫をめぐる科学者たちの真摯かつ愉快な研究エピソードの数々を紹介する『「ネコひねり問題」を超一流の科学者たちが全力で考えてみた』が発刊された。
養老孟司氏(解剖学者)「猫にまつわる挿話もとても面白い。苦手な人でも物理を勉強したくなるだろう。」、円城塔氏(作家)「夏目漱石がもし本書を読んでいたならば、『吾輩は猫である』作中の水島寒月は、「首縊りの力学」にならべて「ネコひねり問題」を講じただろう。」、吉川浩満氏(文筆家)「猫の宙返りから科学史が見える! こんな本ほかにある?」、ヨビノリたくみ氏(教育系YouTuber)「力学、ロボット工学、相対性理論、etc…。内容の濃さにひっくり返りました。この本は「ネコひねり問題」の皮を被った壮大な科学史の本です。」と絶賛された、本書の内容の一部を紹介します。

【ハーヴァード大学研究者が発見】「地球の運動」に隠された「科学的な驚き」とは?Photo: Adobe Stock

地球の自転の問題

 一九世紀、「チャンドラー揺動」と呼ばれる地球物理学のある問題が大きな関心を集めていた。

 当時、地球の自転軸の方向が一定でないことが明らかとなっていた。独楽(こま)やジャイロスコープと同じように、地軸の先端が円形の経路を描いているのだ。これを「歳差運動」といい、地球の歳差運動の周期は二万六〇〇〇年。

 さらに地軸はその円形経路上からわずかに揺れ動いていて、これを「章動」といい、その周期は一八・六年である。歳差運動と章動は、太陽と月の重力が地球に作用することで引き起こされる。

天才オイラーの推測

 一七六五年に数学者のレオンハルト・オイラーが、もう一つのタイプの章動が存在すると推測した。

 地球が回転楕円体(わずかに歪んだ球)の形をしているために、地軸が地球本体に対してわずかに揺れ動いていて(「自由章動」という)、それは外力でなく地球自らが引き起こしているというのだ。これは、地球の対称軸(対称的に見える軸)と自転軸(実際に地球が自転している軸)がわずかにずれていることによる。

 オイラーは見事な数学を駆使して、この自由章動の周期は三〇六日であるはずだと推測した。

手強い難題

 この揺動による地軸の方向の変化はごく小さいと推測され、それを検出するには、地球から見た恒星の位置を少なくとも一年間は精密に測定する必要があると考えられていた。

 科学者というのはそのような手強い難題を挑戦として受け止めるもので、一〇〇年以上にわたって数多くの研究者がオイラーの推測した自由章動を検出しようと試みた。しかし誰一人成功せず、一八八〇年代にはほとんどの天文学者がその探索をほぼあきらめていた。

 そんな中、保険計理士でアマチュア天文学者のセス・カーロ・チャンドラーJr(一八四六~一九一三)が、それまで大勢のプロ天文学者が見逃してきたまさにその現象を偶然発見する([1])。

ハーヴァード大学天文台

 マサチューセッツ州ボストンで生まれたチャンドラーは、高校の最終学年のときにハーヴァード大学の数学者ベンジャミン・ピアスのもとで働いたのをきっかけに、科学者になりたいと思いはじめた。

 ハーヴァード大学天文台の所員たちと共同研究をしていたピアスが、チャンドラーに数学的な計算を任せたのだ。高校を卒業するとチャンドラーはその計算の腕を買われ、アメリカ沿岸測量部で天文観測による経緯度の測定をおこなう職に就いた。

 その後、上司の退職に伴って保険業界に転職したが、天文学への強い興味は失わなかった。そして学生時代のコネのおかげで、ハーヴァード天文台で観測を続けることができた。

浮遊天頂儀

 緯度の測定には、夜空の真上に向くよう設計された眼視天頂儀を使った。星々の相対的な位置を測定することで緯度を決定するというからくりだ。

 チャンドラーは沿岸測量部時代、この天頂儀の水平を取るのがかなりの手間で、測定に要する時間が二倍近くになってしまうことに気づいていた。

 そこでアマチュア天文学者としての最初の取り組みとして、自動的に水平を取れる新たな装置を設計し、それをアルムカンター(浮遊天頂儀)と名付けた。

 そして一八八四年中頃から一八八五年中頃にかけて、ハーヴァード天文台でこのアルムカンターの精度をチェックした。すると思いがけずも、天文台の緯度が一年をかけて見かけ上連続的に変動していることを発見したのだ。

驚きの偶然

 こうしてチャンドラーは初めて章動を観測した。しかしこの章動の原因をあれこれ推測することはせず、この観測結果を説明できるような誤差の源は見つけられなかったと記すに留めた。

 この問題はさらに何年ものあいだ進展しないかに思われたが、そんなときある驚きの偶然が訪れる。チャンドラーがこの研究を完成させたのとほぼ同じ頃、ベルリン天文台のドイツ人科学者フリードリッヒ・キュストナーも緯度の変動を観測したのだ。

 キュストナーもチャンドラーと同じく、それとはまったく異なる効果を調べようとしていた。キュストナーの場合それは、遠くの星からやって来る光の速さが変動するという効果である。

 のちにアインシュタインの特殊相対性理論によって、光速は誰が測定しても等しいことが示され、そのような効果は存在しないことが明らかとなる。

論文を発表する

 当然ながらキュストナーは光速の変動を検出できず、観測された緯度の変動を説明することもできなかった。そしてその研究は二年近いあいだ棚上げにした。

 一八八八年にようやく重い腰を上げて結果を発表したが、それはチャンドラーの研究成果を目にしたことでやる気になったからかもしれない。

 一方のチャンドラーはキュストナーの観測結果を見て、自分が測定した緯度の変動は確かに実在すると悟った。そこでアルムカンターを使ってますます観測を重ね、一八九一年にチャンドラー揺動に関する自身初の二本の論文を発表した。

 そしてその中で、北極点の位置が四二七日の周期で約九メートル変動していることを示した([2])。

「先入観を持たないこと」は重要

 ほかの科学者が見逃してきたこの変動をチャンドラーが発見できたのは、単に自分が何を探しているのかを知らなかったからだろう。

 それまでこの揺動を探していた天文学者はオイラーの推測した三〇六日という周期にばかり目を向けていて、それよりも長い周期の変動は、大気の季節変化によって星の見かけの位置が変化しただけだとして無視していた。

 しかしオイラーの結果を知らないチャンドラーは、いっさいの先入観を持たずに無心でデータを測定したのだ。

有無を言わせない証明

 チャンドラーの導き出した結果は有無を言わせないものだった。

 チャンドラーは自らの膨大な測定データに基づいてこの揺動の存在を証明しただけでなく、キュストナーのデータが自分のデータと合致することも示した上に、ロシアのプルコヴォという村やワシントンD.C.にある天文台での測定結果も同じ変動を示していることを明らかにした。

(本原稿は、グレゴリー・J・グバー著『「ネコひねり問題」を超一流の科学者たちが全力で考えてみた』〈水谷淳訳〉を抜粋・編集したものです)

【参考文献】
[1]チャンドラーの発見と彼の影響力に関する考察は、Carter and Carter, “Seth Carlo Chandler Jr.”を見よ。
[2]Chandler, “On the Variation of Latitude, I”; Chandler, “On the Variation of Latitude, II.”