音楽ストリーミングサービスを提供するスポティファイ(Spotify)など大型スタートアップを輩出できるようになった欧州で2000年代初期に起こった大きな変化は、今後の日本で劇的な変革を起こすうえで示唆に富んでいる。数々のユニコーンに投資しシリコンバレーで躍進する日系VC創業者が、「急成長企業を見いだす科学的手法」をまとめた新刊書籍『スタートアップ投資のセオリー 米国のベンチャー・キャピタリストは何を見ているのか』より、その一部を紹介していく。

スポティファイを生み出し、スタートアップ不毛の地から激変したスウェーデンに日本が学べることとは?世界的な音楽ストリーミングサービスを生んだ背景には?(Photo: Adobe Stock)

カウフマン・フェローズで進んだ多様化

 筆者は2007年にカウフマン・フェローズ・プログラムに参加しました。実は2005年まで、カウフマン・フェローズ・プログラムは米国内のベンチャー・キャピタル(VC)出身者のみを受け入れ対象としていました。コーポレート・ベンチャー・キャピタル(CVC)や海外からの参加は、受け付けていなかったのです。

スポティファイを生み出し、スタートアップ不毛の地から激変したスウェーデンに日本が学べることとは?中村幸一郎(なかむら・こういちろう)
Sozo Venturesファウンダー/マネージング ディレクター
大学在学中、日本のヤフー創業に孫泰蔵氏とともに関わる。新卒で入社した三菱商事では通信キャリアや投資の事業に従事し、インキュベーション・ファンドの事業などを担当した。米国のベンチャー・キャピタリスト育成機関であるカウフマン・フェローズ・プログラムを2009年に首席で修了(ジェフティモンズ賞受賞)。同年にSozo Venturesを創業した。ベンチャー・キャピタリストのグローバル・ランキングであるマイダス・リスト100の2021年版に日本人として初めてランクインし(72位)、2022年はさらに順位を上げた。シカゴ大学起業家教育センター(Polsky Center for Entrepreneurship and Innovation)のアドバイザー(Council Member)。早稲田大学法学部卒、シカゴ大学MBA修了。著書『スタートアップ投資のセオリー 米国のベンチャー・キャピタリストは何を見ているのか』を2022年6月上梓した。

 というのも、一般的に1990年代から2000年はじめごろまで、VCは「地場産業」と考えられていました。VCにグローバルスタンダードがあるわけではなく、地域固有の文脈で活動するものだとされていたのです。企業によるスタートアップ投資に関しても否定的でした。VC業界に無知な人がやる、迷惑なものととらえられていたからです。やや排他的な考えだったのでしょう。

 これを変えたのが、現カウフマン・フェローズ名誉会長で、Sozoベンチャーズの共同創業者でもあるフィル・ウィックハムでした。彼は2005年にカウフマン・フェローズの3代目CEOになって以降、米国外出身者と、VC以外の多様な人材に門戸を開きました。CVCはもちろん、LPや政府の政策担当者、研究者らもフェローとして受け入れたのです。

 たとえば、2006年にはインテルやノバルティス製薬のCVCがフェローになりました。米国外からは、シンガポール、メキシコ、カナダ、イスラエル、スウェーデン人をフェローとして迎えました。その海外人材1期生、すなわち筆者の1年先輩の中にいたのが、スウェーデン人のステファン・ファーガソンとフレドリック・カッセルでした。当時、30代前半でした。

 この2人は、のちにクランダムというVCファンドを立ち上げ、欧州のスタートアップ風景を一変させたのです。

スポティファイの発掘

 当時スウェーデンの産業といえば、一般に思い浮かべられるのはイケアとボルボぐらいで、スタートアップやイノベーションという言葉とは縁遠いエリアと考えられていました。ステファンもフレドリックも、カウフマン・フェローズ・プログラムを受講した当初、VC投資の経験はなかったはずです。

 ステファンとフレドリックはカウフマン・フェローズに四半期に1回は顔を出し、レクチャーやディスカッションをこなしながら、クランダムを立ち上げました。カウフマン・フェローズCEOだったフィルはクランダムのアドバイザーに就任し、サポートしました。

 筆者はカウフマン・フェローズ在籍2年目に、OBのフレドリックから、スウェーデンの音楽配信会社の話を聞きました。それが、スポティファイ(Spotify)でした。彼が無料のテストアカウントを同級生に付与しつつ、そのユニークなビジネスモデルについて説明していたのを覚えています。その後、スポティファイに2000万ドル超の投資をしたことを彼から聞きました。

 そのあとの成長は急激でした。カウフマン・フェローズ卒業生のネットワークで、ピーター・ティール率いるファウンダーズ・ファンドがスポティファイに出資することになりました。ファウンダーズ・ファンドのカウフマン・フェローズ出身者が、フレドリックやスポティファイ経営陣に興味を持ったのです。

 スポティファイはアメリカ市場に本格的に進出し、グローバルな音楽配信プラットフォームに成長する足がかりを築きました。この間、わずか1年半ほどです。あっという間の展開でした。

スポティファイが変えたヨーロッパのエコシステム

 スポティファイとクランダムは、欧州のVCエコシステムを大きく変えた歴史的なスタートアップです。

 まず、最初の投資ラウンドで、クランダムは2000万ドル超という巨額の投資を、シンプルなアメリカ標準の投資契約書で実行しました。たくさんの小口投資家からお金を集めるという欧州で一般的だったスタイルを無視したものでした。結果的に理想的なキャピタル・デザインとなり、これがファウンダーズ・ファンドを引き寄せます。

 ステファンとフレドリックは、それまでの欧州方式のVC投資を知らなかったために、素直にカウフマン・フェローズ・プログラムで習った米国方式の投資契約を結べたのではないかと思います。投資サイズや投資契約は、欧州では常識外れのものでした。スポティファイとクランダムが与えたショックは強烈で、カウフマン・フェローズ・プログラムの現役生はほぼ全員が修了したばかりの若きベンチャー・キャピタリストの話題で盛り上がっていました。

 クランダムのインパクトは、文脈を理解しなければなかなか実感できませんが、以下のように分解できます。

・音楽業界というスタートアップ不毛の地で、ユニコーンになったこと
・北欧の小国をハブにして国際協調投資が実現したこと

 欧州にはそれまで目ぼしいスタートアップが育っていませんでした。そして、実は音楽業界も不毛の地であり、スポティファイ以前から米国の名だたる起業家が音楽業界に挑み、敗れてきたのです。ここでは深入りしませんが、音楽レーベル、つまりコンテンツ所有者との契約に大きなビジネス上のネックがあったのです。地域・業界、いずれも当時の常識からすれば、うまくいくはずのない投資でした。しかし、スポティファイは巨大な企業に成長しました。

 スポティファイの経営陣が素晴らしかったことは言うまでもありませんが、投資サイズ、スタンダードな契約、そしてVC間のネットワークが前提となり、化学反応を起こしたことは間違いありません。

 このようなロールモデルが1つできれば、人々の認識は変わります。クランダムに投資したいLPが現れ、投資してほしいスタートアップが集まり、真似をするVCが出てきます。逆に、真似できないVCはLPから見放され、淘汰されます。雪崩を打って、欧州のエコシステムが変わっていったのです。

クランダムに続け

 スポティファイの成功以降、シードキャンプなど、米国のVCと連携投資をするVCが次々に立ち上がりました。また、クレジットカルマ(Credit Karma)、クラーナ(Klarna)、ワイズ(Wise)、レボリュート(Revolut)などフィンテックを中心とした欧州発のスタートアップが誕生し、欧州と米国のトップVCのサポートを受けて米市場に進出し、次々にグローバル・プラットフォーマーになりました。

 VC投資のエコシステムをうまく回すには、ある意味で依怙贔屓が有効です。ダメなスタートアップを100社つくっても、その100社は消えてなくなります。数の問題ではないのです。良いスタートアップを1社育てることが、その後のエコシステムを発展させるうえで極めて有効になるのです。

 同様の動きは南米でも起きました。世界最大の起業家支援組織エンデバーの支援を受け、カゼックがNotCo、ヌーバンク(Nubank)などに投資。セコイア、リビットといった米国トップVCとグローバルな協調投資を実行しました。南米でもガラスの天井が破られたのです。中国でもGGVが、シンガポールではジェネラル・アトランティックが同様の成功例をつくっていきました。