条例策定の背景は、比較的単純だ。1994年、政府が「子どもの権利条約」を批准した。この政府方針に基づく形で、各自治体は条例を策定することになった。いわば、国策の実現である。
しかし、川崎市で条例策定に関わった西野博之さん(認定NPO「フリースペースたまりば」理事長)によれば、「権利を教える前に義務を教えなくては」「権利を教えるとワガママになる」といった反対意見も多かったという。極めて少数ながら、「女と子どもに権利は要らない」という声もあったそうだ。
もともと進学塾の講師だった西野さんは、1986年、不登校児たちの居場所づくりに転身した。1991年には「フリースペースたまりば」を開設し、不登校児・引きこもりの若者たち・障害者たちと共に生きる場を作り始めた。条例の策定に関わり始めたのは、自然の流れだった。
1998年、市民と子どもたちによる条約策定への取り組みが開始された。子どもたちが参加したのは、「子どもの権利」の当事者は子どもたちだからである。会議と集会は、1998年から2000年までの2年間で200回に達した。しかし多数の大人がいると、子どもが率直な意見を言いにくい。そこで、子どものみで構成される「子ども委員会」も設置された。
「自らの権利を守ってもらえる」という意識は、他人の権利を守ることにつながる。権利を相互に尊重し合うことは、社会の尊重につながる。このような理解が、対話の中で自然に広がっていった。そして2000年12月、市議会は満場一致で条例を可決した。
とはいえ、条例の文言は理念にすぎない。「絵に描いた餅」を現実にするためには、具体的な何かが必要だ。