何かを手に入れるために泥臭く努力をするよりも、熱くならないスマートさが格好良いとされていた時代。大村さんの目には、「苦労は買ってでもしろ」と熱く語る吉岡先生の姿が、とても珍しく映った。そして、その熱い思いは大村さんの心に真っ直ぐ届いた。

“日本一の名医”を育てた「横を見ずして前を見ろ」という言葉若い医師たちに向けて開催されたNPO法人ジャパンハート吉岡秀人先生の講演会(左が大村さん)

「面白そう」と思ったら、即行動。講演会からの帰り道で書店に寄り、国際協力をしている医師たちの本を購入すると、すぐに読み漁った。

 それまで東南アジアに行ったことがなかった大村さんにとって、開発途上国での活動は未知の世界である。

 アフガニスタンで、医療だけでなく干ばつや貧困対策にも関わっていた中村哲先生や、ネパールの「赤ひげ」と呼ばれた岩村昇先生‥‥。本に描かれていたのは、現地に骨を埋めて、生涯を捧げる医師の姿だった。家族と一緒に過ごす時間はほとんどなく、親の死に目には会えないのが当たり前。あまりに過酷な活動を知り、「これは自分にはできない」と諦めかけた。

「でも、そこで思い出したのが吉岡先生の言葉でした。『現地に骨を埋めるような活動をする人は、10年に1人、20年に1人は出てくるかもしれない。それを待っていたのでは国際協力は発展しない。たとえ1年に1回でもいいから続けていくことの方が大事だ』と。それなら自分にもできるかもしれないと思いました」

 日本に軸足を置きながら、医師が国際協力を長く続けていけるような仕組み作りができないだろうか。大村さんの心には、「自分なりのやり方で国際協力に関わっていきたい」という目標が芽生えていた。

「なんとなく」参加した講演会がきっかけで、大村さんのキャリアは拓かれていく。ちょっとでも興味を持ったら、とにかく行ってみる。その行動が、人生を大きく変えるきっかけになるかもしれない。

「誰もが羨むキャリア」か
「自分がワクワクする挑戦」か

 医師になって海外で働きたい――。これは、内科医の父と、薬剤師の母との間に生まれた大村さんが、幼少期から漠然と抱いてきた思いだった。

「医療は世界中の人に平等にアクセスできます。どの国の人にとっても、医師は助けを求められる存在ですよね。せっかくそういう職業に就くのだったら、日本国内にとどまらず、世界中の人に向けてやっていきたいと思っていました」