「教育データ利活用ロードマップ」が炎上した。牧島かれんデジタル大臣が年始に開いた記者会見に対して、NHKが「政府 学習履歴など個人の教育データ デジタル化して一元化へ」と報じてから、SNS上では「地獄への道は善意で塗装されている」「子ども1人ひとりの顔が見えていない」「教員負担を増やすな」といった批判が続出したのだ。
NHKの報道からは、あたかも国が国民一人ひとりの教育データを管理し、のぞき、差別の対象にするかのような印象を受ける。しかしこの報道について、デジタル庁デジタルエデュケーション統括の中室牧子氏は「あえて国民の誤解や不安を惹起するような報道の仕方をしている」と失望をあらわにする。
では、教育データ利活用の目的は何なのか? 国民のプライバシーは守られるのか? 教員負担は増えないのか? これらの疑問について、中室氏に回答してもらった。
(本記事は、中室牧子氏のnote記事『目下、話題の「政府、教育データを一元化」について』の内容を転載しています)

「教育データ利活用」は本当に「地獄への道」なのか?Photo: Adobe Stock

国は「データ利活用」の
対象ではない

 1月7日に牧島かれんデジタル大臣の記者会見について報道された記事、例えば「政府 学習履歴など個人の教育データ デジタル化して一元化へ」が出てから、SNSでは「#教育のデータの一元化に反対します」というハッシュタグとともに、批判の声が上がっています。

 SNSには「一体誰がこういうことを思いつくのか?」という疑問を投げかける投稿もありました。

 これに関わった人の一人は私です。そして、最初に明言しておきますが、国は、個人の教育データを一元的に管理することは全く考えていません

 そもそも牧島大臣のご発言は、同日に発表になった「教育データ利活用ロードマップ」がもとになっています。デジタル庁だけでなく、教育データ整備に関わる4省庁(デジタル庁、総務省、文科省、経産省)の連名で、まさに今後の教育データの利活用とそのための環境整備について方向性を示したものです。

 報道を契機に誤解が広まっているようですし、SNSには「何故こんなことをする必要があるのか」とい言う声もありましたから、これを機会に私自身の考えを述べておきたいと思います。ただし、この記事は私個人の見解であり、デジタル庁の公式見解ではありませんことを事前にお断りしておきます。

 まず、私について。普段は慶應義塾大学で教育経済学の研究をしています。『「学力」の経済学』の著者だと言えばわかっていただける方もいるかもしれません。そして9月1日から非常勤でデジタル庁の「デジタルエデュケーション統括」という仕事を始めました。

 私自身は研究者ですから、日頃から教育データのユーザーなのですが、日本における教育データの利活用は、海外と比較すると大きく後れを取っており、これを何とかできないかと考え、この仕事に応募し、昨年6月に閣議決定された「デジタル社会の実現に向けた重点計画」において作成されることが決まっていた「教育データ利活用ロードマップ」に関わる機会を得ました。

 SNS上で批判が高まっている理由について考えてみると、先述の記事のタイトルそのままに、国が個人の教育データを一元的に管理し、いつでもそれを自由に覗き見て、誰かの成績が悪かったり、欠席が続いていたりするとマークされて、進学や就職において差別の対象になるのではないか、という不安を持つ人が多かったからではないでしょうか。

 私も、もし何も事情を知らずに、この記事を読めば、「気持ち悪い話だなぁ~」と思ったに違いありません。

 既に述べましたが、まずとても重要な点を繰り返し強調しておきます。国は、個人の教育データを一元的に管理することは全く考えていません。それどころか、42頁及び43頁にも、わざわざ赤字で「国が一元的にこどもの情報を管理するデータベースを構築することは考えていない」と記載しています

 このことは1月11日の牧島大臣が閣議後記者会見でもご発言されていますし、「教育データ利活用ロードマップに関するQ&A」にも記載されています。

「教育データ利活用ロードマップ」の11頁には、データの管理は、例えば出欠であれば学校が、公教育の中における学習履歴は生徒本人が、というように、これまで通りの「分散管理を基本」とすると明記しています。

「教育データ利活用ロードマップ」の9頁にある「教育データの蓄積と流通の将来イメージ(アーキテクチャ:初中教育)」の図を見た方の中には、塾の学習履歴なども国に一元管理されるとご心配をされた方がいたようですが、これも事実ではありません。なぜなら、11頁をご覧いただければわかるように、このデータ利活用の関係者に「国」は列記されていないからです。